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アクア・マーメイド

CHAPTER 10

「海人っ、ホントに人魚がいるの?」
 呼吸を荒らげながらも海人の元へ一番最初にたどりついたのは有沙だった。目をキラキラとかがやかせている。だが、何もいわない海人の様子に首をひねった。海人のまとう雰囲気はまるで、傷つけられた小動物のようだ。何かにおびえているような。
「人魚はどこにいるの?」
 海人が無言で指をさす。それをたどった有沙がおどろいて息をのむ音は、波沢の足音に消された。
「海人、あれ……まさか、そんな」
「ちがう!」
「須貝? どうしたんだ?」
 海人の大声に、波沢は眉をひそめた。波沢は二人が凝視している方を見やって、有沙と同じようにおどろく。見間違える方がよほど変だった。やっと海人の大声の意味が理解できた時、かなり遅れて団員たちがやってくる足音がきこえた。
「捕獲班!」
「須貝、お前、自分を何をしようとしているのかわかっているのか!?」
「お前はだまってろ! 捕獲班、網をよこせ!」
 さからえない海人の剣幕に、捕獲班の男子は漁猟用の捕獲網をなげて渡す。あまりの剣幕におされて反射的に渡してしまった、という感じだった。

 フィンカは、はっと我にかえる。
 ここでつかまるわけにはいかない。よくわかっている。最愛のレオンにとてもよく似たあの人間が、どんなにフィンカをつかまえようとしても。
 ――逃げなくちゃ。
 人間が網をなげる。それと同時にもぐる。網がとどかないところまで。今はつかまらないし、つかまりたくない。だが、網はまるで意志をもつかのようにフィンカを囲っていく。ヒレを必死でうごかして、網から逃げる。
 ――つかまりたくない!
 網がフィンカをとらえる。身体が引きあげられていく。死にもの狂いになって爪で網をきろうとしても、頑丈すぎてきれない。そうする間にも、非情に身体は引きあげられる。
「やめて」
 水の中でしかきこえない声でさけんでも、陸にいる彼らにはきこえない。
「嫌ぁ!!」




「まさか自分の甥っ子がつかまえてくるとは、夢にもおもわなかった。よくやったな」
「いえ、別に僕は何も。この二人がいなければ、人魚の捕獲は無理でした」
 波沢は自分の後ろにいる海人と有沙をしめした。海人はふてくされたようにそっぽをむいていたが、有沙は頭をさげた。有沙が肘鉄砲をくらわせるが、海人はしかめっ面のままだ。
「あの、すみません。いつもはこんなに仏頂面はしていないんですけど、今日はさっきからこんな調子で」
 席をすすめられて、三人はソファーにおとなしくすわる。あまりのやわらかさに有沙は驚嘆する。慣れている波沢は表情を全くかえない。これがブルジョアってやつなんだな、と有沙は一人納得する。部屋を見わたすと、色とりどりのタペストリーに金色の時計、絵画や写真が品よくかざられている。
「君たちの団には、約束通り褒賞金をだそう。いくらお望みかな」
「一人二十万」
「えっ?」
 海人のふっかけた金額に一番おどろいたのは有沙だった。我知らずソファーから腰をうかせていて、気づいてあわててすわった。だが海人を凝視する。二十万あれば、一ヶ月の生活費分がまかなえる。波沢はこまったように海人をみた。表情をかえないのは、海人と波沢の叔父だけだ。
「団員は俺もいれて計七人だから、合計百四十万円だ」
「ちょ、ちょっと海人」
「いいだろう」
 有沙は自分の耳がしんじられないという顔で、海人と波沢の叔父を交互にみた。だが誰も、「まさかね冗談だよ」とはいってくれない。つまり、有沙がきいたことは間違いなく本当のことなのだ。頭をかかえたくなった。
「ところで、一つだけききたいことがある。きいてもいいか」
 海人は眉をあげる。それでも了承の印に一つ、うなずいた。
「君たちの団は総勢八名で団長は女の子だと、啓介からきいていたのだが?」
 『啓介』は波沢の下の名前だ。海人はみじかくこたえた。
「そんなやついません」
「そうか、変な質問をしてわるかったな。では褒賞金は後日現金書留でおくらせてもらう」
「あっあの、いいですか?」
 声をあげたのは有沙だった。視線をうけて、ふるえる声でつぶやくようにいう。
「人魚はこれからどうするんですか?」
「しばらくは水槽の中にいれておく」
 有沙の安堵にみちた吐息は、次のセリフに口の中でこおりついた。
「よわってきたら、剥製にするつもりだ」


 波沢の叔父の家をでたその瞬間、有沙は勢いにまかせて海人の服のエリをつかんだ。目の端にうっすらと涙がうかんでいる。
「このまんまでいいの? 夏魚を見殺しにするの!?」
 有沙はつかんだままのその手をふる。海人は無表情のまま揺られつづける。らちがあかない海人の様子に、有沙は手を離した。
「だまってないで、何とかいったらどうなの」
「あいつが死のうが生きようが、俺のしったことじゃない」
 有沙はかっと目をみひらいた。唇を噛みしめて、手をふりあげる。目から火花が散るほどの衝撃が、海人の頬をうった。金属のような味が口中にひろがる。みると、有沙はまだ手をふりあげたままだ。目をまるくして波沢をみつめている。拳をきつく握りしめた波沢が海人をみていた。
「ふざけるな」
 冷えきった声が海人の耳にとどいた。波沢の手がぶるぶるとふるえている。
「本気でいっているのか?」
「あぁ、本気だよ!」
 波沢の二発目が、一発目とは反対の頬にはいった。海人の唇から血がながれる。
「感謝しろ。わざわざ両方、平等に殴ってやったんだからな」
 海人は血をぬぐう。ふきとれなかった血をのこしたまま、海人はわらう。それはとてもいびつで、ゆがんだ笑いだ。はじめてみる海人のそんな笑いに、有沙は身をすくませた。
「あいつは裏切り者だ。人魚捕獲の計画を一生懸命かんがえてた俺たちを嘲笑ってたんだ! ……本当は俺、夏魚が手伝いたくなかったことも、乗り気じゃなかったこともしってたさ。わかってたよ!」
 有沙がうつむく。言いだしっぺは有沙だ。だから多分、有沙が捕獲を言いださなければきっと夏魚は、みんなを裏切らずにすんだのだ。
 ――私さえ、いなければ……。
「それに波沢、お前だってあいつに利用されたんだよ! それでも、きれい事ですませる気か?」
 今にも波沢に殴りかかりそうな海人を、有沙はあわててはがい絞めにする。こうでもしないと、暴れに暴れて手がつけられなくなる。海人の猪突猛進っぷりは、今までの経験でよくわかっている。
「きれい事でおわらせる気はない! よくかんがえろ須貝!」
「何をだよ! 褒賞金の使い道か!?」
 海人が噛みつくようにほえる。有沙は腕に全身の力をこめた。海人がじたばたあばれる。聞き捨てならない言葉をいわれた気がしたが、それでも放す気はなかった。
「どうせお前は、『今一番傷ついてるのは俺だ』とかおもってるんだろうけどな、それはちがう! 一番傷ついているのは墨江くんだ! すきなお前につかまえられた墨江くんだよ!」
「「『すきなお前につかまえられた墨江くん』?」」
 海人と有沙の二人にオウム返しでいわれ、波沢は口をおさえた。明らかに、『今のは失敗した』という顔だ。海人の怒りも一気にさめたらしく、全身から力がぬける。有沙は手を放す。予想通り、海人は暴れなかった。波沢をまじまじとみつめている。
「どういうことだ? あいつが俺のことをすきってか? こういう時にいう冗談じゃないだろ」
 「冗談だ」といってほしいのだろう。だが、波沢の表情は真剣そのものだ。海人はあわてる。
「マジか! ちょっと待て! つーか、何でお前がしってんだ!?」
 前から夏魚の気持ちに気づいていた有沙に、特別な驚きはない。思わずため息がこぼれる。知らぬは亭主ばかりなり、だ。
「人魚捕獲作戦の前に墨江くんと話した時に告白した。墨江くんは、『海人がすき』といったんだ」
 海人は絶句する。波沢が夏魚に告白、というかすきだったこと。夏魚のすきな相手がよりにもよって自分だったこと。全然気づかなかった。だって今までずっと、『ただの幼馴染』としか認識していなかったのだ。
「ってことは波沢、あんたフラれたのね?」
「も、問題はそこじゃない! いいか、須貝。お前がここでバカな意地はって、叔父のところにいる墨江くんを見捨てるつもりなら……墨江くんは僕がもらう。いっておくがな、墨江くんはそんなお前なんかのために泣いていたぞ。墨江くんの涙を無駄にするなよ」
 海人は茫然自失状態だ。ふん、と鼻をならして、波沢は有沙に向きなおった。
「石村くん、知恵をかしてくれ。須貝がボケている間に、(うるわ)しの人魚姫を救う計画をたてようじゃないか」
 波沢はにやり、とわらった。
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