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アクア・マーメイド

CHAPTER 08

 眠っていたのに気づいたのは、その眠りからさめてからだった。中休みのつもりで木にもたれていたら、気づかないうちに寝ていた。少し離れたところで、団員たちが忙しく働いていた。夏特有のじめじめとしてなんだか重い暑さが、べたべたと肌にからみついてくる。
 まばたきすると、かんがえもしなかった涙がこぼれた。ねむっている間にみていた夢のせいだ。フィンカという名の人魚の一生をかけた恋の夢。
 十七の誕生日の夜の夢に、彼女はあらわれた。灰色のフィルターをかけたような茶色の髪に、海のような蒼の瞳。足があるべきところにあったのは、みる角度によって色をかえるウロコでかざられた魚のヒレ。

『私は、あなたよ。そしてあなたは私』

 生まれ変わりなんて、しんじていなかった。だって私は私なのに、それが見知らぬ誰かだなんて、私の全否定と同じ。そうおもっていた。だけど、彼女をみた瞬間にすんなりと納得してしまった。彼女は私だって、本能以前の何かで理解した。

『あなたにさがしてほしいものがあるの』
『さがすって、何を?』
『私がなくして、海へと還ってしまったものよ』

 彼女がのんだ蒼の液体。それによって消えてしまったもの全てを、彼女はあつめなければならない。けれど身体をもたない彼女にはそれができない。だから彼女が泡になってしまった満月の夜に、私の身体は彼女のものになる。再び身体を得た彼女は、なくしものをさがす。
 私たちがつかまえようとしている人魚。それは、彼女に身体をゆずりわたした私だ。自分で自分をつかまえようとしているところが、なんだかすごくバカだ。だから協力したくなかったのに、自分の短気っぷりがうらめしい。バカだっていう自覚はあったけど、ここまで自分がバカだとはおもわなかった。
 とにかく、さがさなきゃいけないのは後一つ、なんだけど。
「何をなくしたんだかわかんないって、そりゃないわよぉ……」
 そうなのだ。残りは一つだというのに、それが何かわからない。手がかりも何もない。そんなバカな。さすが私の前世だ。私のバカっぷりは彼女のせいに決まっている。ちょっと責任をとらせたい。
「いやそんなこといったって仕方ないけどさぁ」
「何独り言いってるの? はやく出現予測地にいかなくちゃ」
「あ、うん」
 有沙が手を差しだしてくれた。有沙のこういう優しさって、本当にいいなっておもう。父子家庭の三人兄弟の一番上だから、なのかもしれない。そんなことをかんがえながら有沙の手をとる。ふとみたら、太陽が地平線のむこうにきえはじめていた。雲や空が夕日に紅くそまって、それが蒼い海にもうつっている。
「綺麗だねぇ」
 有沙がうっとりとつぶやいた。口の端をもちあげて、同感をあらわす。こんなに綺麗な景色を綺麗っていわない人にあってみたい。目だけじゃなくて感性がおかしいんじゃないだろうか。いつもみている風景。見慣れてしまった風景。だけど改めてみてみれば、はっとするほどの美しさがひそんでいる。
 だけど陽がおちて夜になると、私は人魚になってしまう。今夜は満月。全てを照らす、満月。
 かなしむべきかよろこぶべきか、私の部下たちは大変優秀で、その上覇気(はき)もあって、人魚(つまり私)をつかまえないことにはかえれないかもしれない。っていうか、きっとかえさせない。中でも一番一番元気なのは。
「夏だ青春だ金だ人魚だー!」
 やっぱり海人だ。波沢とぎゃーぎゃーやってるけど、仲はいいんだとおもう。『喧嘩するほど仲がいい』っていうのは、半分嘘で半分本当だから。本人たちはそれをいわれると嫌がるものだけど。昔の私と海人に似てる。だからこそ、かなしい。
 海人がもし私をつかまえたら、幼馴染にもどれなくなる。一番嫌なことだけれど、きっと、傷つけてしまう。だけど、何もできない。傷つけたくない。嫌われたくない。だけど。
 ――何もしないくせに嫌われたくないなんて、ズルイな、私って。
「墨江くん!」
 波沢の声だ。かけよってくるから、立ちどまっておいつくのをまってやる。前はひたすら嫌味な奴だとおもっていたけど、今はちょっと(本当にちょっと)イメージがよくなった。想像したよりもマメに、結構かいがいしく働いてくれるからかもしれない。
「話があるんだ」
「話? 後で話してよ。これからだってことぐらい、あんたならわかってるでしょ?」
「今なんだ。今言わないといけないことなんだ。それに、他人にきかれたくない」
 波沢の様子が妙に緊迫していたから、ついうなずいてしまった。私はバカだ。バカキングだ。仮病するつもりだったのに、なんでほいほいうなずいちゃうのさ。仕方ないよね。前世からのバカなんだから。死んでもなおらないんだから。
「有沙、波沢と話すから先にいってて」
「わかった。早めにきてね」
 物分かりのいい有沙はそういうだけだった。みんながまっている予測地にはしっていく。それを見送って、一応誰にもきかれないように物陰にはいる。日陰のはずなのに、夏だから熱気がすごかった。
「で、話って? 私、いそがしいんだからはやく」
 一気にまくし立てて、波沢の言葉をまつ。夏の熱気にすこしくらくらする。
「墨江くん。君が、すきだ」
 聞きながしかけた。一瞬何をいわれたかわからなかった。『すき』? って波沢が私を……。
 好き――――――――!?
「あんた暑さで頭やられたの? 大丈夫!?」
 波沢の頭を拳でたたく。さすがに波沢が顔をしかめたから、頭をボンボンたたくのをやめる。
「墨江くん、僕は本気だ。初めて君をみかけてからずっと、君のことがすきなんだ」
 波沢の目は、まっすぐに、てれくさくなるほど私をみつめていた。本気だ。本気なんだ波沢は。
 でも、そんなこといわれたってこまる。私は波沢のことを何ともおもってないし、それに私が本当にすきな人は。本当にすきな人は……。
「ごめん。私は波沢のこと、すきじゃない。でも、団のことでがんばってる時の波沢はいいとおもうよ。そういうとこはいいとおもうけど、でも。……ダメ」
「どうして僕じゃだめなんだ!」
「私は、海人がすきなの!」
 思いのままに、吐きすてた。波沢の目がこわくて視線をそらしてしまう。波沢のまっすぐすぎる視線は、今の私には毒にしかならない。
「おぼれてる私をカナヅチのクセにたすけてくれたり、ないてたら黙ってずっと一緒にいてくれたり。ずっと近くにいてくれた、大切な人で、傷つけたくない人。だから、あんたをすきにはなれない」
 言葉にだして、自分の残酷さに気づいた。私は、そんなに大事な人を裏切るんだ。例え私の意思でないにしても、だましているんだ。鼻がつんといたくなって、じわりとにじんだ涙をあわててふく。なんでここで涙がでてくるんだろう。波沢が目をそらすのがわかった。なんだか、解放された気がする。
「わかった。応援するよ」
 嘘だよ、そんなの。応援なんてできないでしょう? 自分の想いのほうがずっと大切でしょう?そんな綺麗事、アンタには似合わないよ。私をもう、まっすぐにみてくれないのがその証拠。……ごめんね、私は汚いよ。汚いけど、でも、それでも海人がすきだよ。あんたの真面目な告白をスルーしかけたぐらいに。
「ありがとう、じゃあね。人魚の捕獲、ガンバロ!」
 波沢がうなずいたのを確認して、走りだす。波沢がついてこないのはわかっていた。海人たちがまっている出現予測地にむかってただ走る。
 逃げたかった。波沢の想いから。自分の想いから。自分の醜さから。逃げたってしょうがないけれど、でも逃げることですくわれる何かがあるのだと信じたかった。

「あっ、夏魚! 何の話だったの?」
「『精一杯がんばります』だって。後からくるハズだけど」
「ふぅん。そう」
 有沙の肩までの髪が、闇に染まりはじめていた。団員の数人が懐中電灯をつけて振りまわしてあそんでいる。あぁぁ、電池は大事にしろー!
「日没と同時に、『人魚捕獲大作戦』の開始だー!」
 向こうで海人がいった言葉。それに全身が反応した。
「どうしたの夏魚?」
「私、気分わるいから、かえるね」
 潮が私をよぶ。私の意志などまるで無視してどこかにおいて、身体だけが海を欲する。抵抗できない。本能からの欲望。だけど、このままでは変化してしまう。皆のさがす『人魚』に。
 ――海人は、私が人魚だって知ったらどうするのかな。
 嫌な思いだけが胸を縛りつける。
「わかった。気をつけてね。途中でたおれないでね!」
 嫌な思いにとらわれて顔が青ざめていたみたいで、幸運にも信憑性がでた。有沙が心配そうに私を気遣ってくれる。でもそれだって私は、自分に都合よく利用しているんだ。
「本当にごめんね。何もできなくて」
「そんなこと気にしないで、はやくお家にかえってゆっくり休みなよ」
 きっと有沙は、私のいった「ごめんね」の本当の理由をしらない。


 満月の晩。償いの夜。終焉のないような、永い夜。自分が海に近づいているのがわかる。罪悪感交じりの高揚感が私を満たしていく。
 感覚が人魚になっていく。『変化』は、もうはじまっている。
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