アクア・マーメイド
CHAPTER 05
髪が磨きこまれた剣のように銀色にかがやいて、光をはじいていた。瞳の色が、王子と同じ鳶色。こんな状況でなければ感心してしまいそうなほどの、優雅な一礼。
「『はじめまして』だな、フィンカ。私はラピストリ国王太子、ルネ・アルベール・バルビエ・ラピスト」
占いにしたがうなら、このヒトは私の夫となる。
「フィンカを王太子殿の伴侶に?」
王子の言葉が、今はしんとしずまりかえっている部屋にひびく。王子の声には、驚きがにじみでている。当の本人の私はといえば、驚きすぎてもう言葉がでない。元々でないけど、もしでたとしても、でなかったとおもう。
「御意」
うなずいて、神官様はかぶっていたフードをとった。そうすると神官様の顔が全部みえて、それではじめて男だってわかった。どうして神官様がやるような占いで人魚の私がでてくるのか、全然わからない。それも、その相手が次期王様だなんて。
「しかしスミス。フィンカは王太子殿にあったことなないぞ? それで結婚などとは、いくら掟とはいえ乱暴だ」
「あった、あわないは関係がないのですよ、第二王子殿下。これは神の、ひいては天のお決めになったことであり、そうなれば神官の、いえ、国民の総意なのでございます。そむけば国にさからうことと同意。いくら王子殿下とはいえ、猶予されるものではございますまい」
腕をそでにいれてかくして、神官様が礼をする。どこまであるんだろうとおもうほどながい黒髪が、さらりと音をたてておちた。神官様はそのまま礼をつづけている。
「フィンカ、君は? 相手は王太子だが、あったこともない者との結婚だ。君の意見もきくべきだろうとおもう」
そんなの、そんなの私だって嫌、絶対に嫌! 私はまだこの胸の痛みの正体をしらない。しるために、親も故郷も何もかもをすててきたのに、まだしれない。しらなきゃおわれない!
頭をふる。いきたくない。ずっとずっと王子のところにいたい。
「私たちの使命は、未来の王妃の意思の確認ではありません。未来の王妃を無事に王太子様の御許までおつれすることです」
神官様の後ろにいた男のヒトたちが音をたててやってきて私の腕をつかんだ。強引につれていかされそうになる。いきたくなくて抵抗したら、王子がつかまれていないほうの私の腕をひっぱって、自分の背中に私をかくした。いつの間にか抜かれていた王子の剣が、ぎらりとひかる。
「フィンカ、にげるんだ」
王子の服をにぎる。王子を見捨ててにげたりなんて、絶対にしない。けれど、王子の服をにぎっている私の手を、王子はさっきのヒトたちよりもつよくにぎった。
「いいかフィンカ、このままでは君は強引に王太子殿の伴侶にされてしまうんだ! それは嫌なんだろう!? 僕にかまわずに、にげるんだ!!」
薬をのんでから初めて、はなせたらどんなにいいだろうとおもった。言葉がないとつたわらない。いわなくちゃわからない、けれどつたえられない。王子を見捨てていけるはずがない。
「フィンカ、君は」
私の方に注意がむいて周りに気がまわらなかった王子は、鞘をつけたままの剣で頭をなぐられた。お腹にひびくような、にぶくておもい音。きんいろが目の前で下降していく。さけんだはずなのに。大声でよんだはずなのに。私がどんなにさけんでも、ないてもわめいても、ただの吐息にしかならない。
「乱暴をお許しください、フィンカ様」
神官様が頭をさげる。頭がぼうっとあつくなる。ハッと気づいた時には、私は神官様の頬を張っていた。自分の言動に愕然とする。誰かをたたいたことなんて一度もなかったのに、なんで。力がぬけて、神官様たちがくる前にすわっていた椅子に腰をおろした。
兵士さんたちが、王子をつれていく。立っておいかけようとしたのに、脚が萎えて力がはいらなかった。頬をあかくはらした神官様が、「すみません」とちいさくつぶやいて、部屋をでていった。神官様の後に兵士さんたちも一緒についていって、部屋の中には私一人がのこされた。多分、部屋の外には見張りがいる。
どうして、こんなことになってしまうんだろう。私はただ、この胸の痛みをしりたくて、そのために何もかもをすててきたのに。どうして、王子があんな目にあわないといけなかったんだろう。
――もしかして王子、殺されちゃうのかな。
胸がはげしくしめつけられる。呼吸ができないほどの痛みなんて、はじめてだ。涙があふれる。どうして涙がでてくるんだろう。みんなとわかれるって覚悟をきめた時も涙なんてでなかったのに、王子がいなくなるってかんがえただけで涙がこぼれる。
涙をどうにかしようなんて気力はわかなかった。でてくるのは涙だけで、息を押し殺す必要もなかった。
ふと、王子の本が目にはいる。王様の鈴の話。自分がぬすんだ鈴が、雨をふらせる鈴だとはしらない泥棒は、何度も何度も鈴をふりつづける。最初は時雨程度だった雨が段々はげしくなって、やがて豪雨になった。その雨で、泥棒の家の近くの川の水かさが増して、泥棒は家ごとながされてしまう。
泥棒と一緒にながされた鈴はやがて海へとながれついて、大喰らいの魚がエサとおもってたべてしまう。その魚も漁師につかまえられてしまって、市場でうられる。その魚を王城のコックが買い、王様のための料理につかう。王様が鈴のことを心配しながらディナーをとっていたとき、魚の腹の中からその鈴がでてくるのだ。
『王様はそれからずっと、鈴をよいことのために使いつづけました。』
しばらくしたら、兵士さんがまた部屋にきて、私を城の奥につれていった。
そこにいたのが、王子のお兄さんで王太子のルネ。
あいさつの返事は、しない。今は話せないし、もし話せたとしても絶対に話さない。いくら命令にさからったからって、王子にあんなひどいことするなんて、絶対に、絶対にゆるせない。
「スミス神官から大体の話はきいているだろうとおもう。しきたりなど、私は全くあてになどしていない。ねぼけたジジイどもの
戯言だ。……だが」
窓のちかくにいた王太子が、変な笑いを顔に貼りつけてこっちにくる。つい、威圧されて後ずさってしまう。でも、
自分ができる限りこわくにらむ。
「そうすることで王位につけるというのなら、私は手段をえらばない」
手首をつかまえられて、顔を近づけられる。にぎられた手首がいたむ。
「フィンカ、私の伴侶になれ。損はさせない。世継ぎを産む、それだけだ。心はいらない。世継ぎを産めば、愛人が何人いてもかまわないし、私はそれに一切口出しはしない。お前がやりたいようにやればいい。何でもあたえよう。おとろえぬ美貌も、かがやく宝玉も、豪奢なドレスも、お前がのぞむもの全てを」
手首がぎりぎりとしめあげられる。喉がなった。手をおもいきりふっても、はなしてくれない。
「あいつは未来の王妃の身柄を渡すことを拒んだ。私が一言、『殺せ』といったらあいつは国家反逆罪で即死刑だ。わかっているのか」
驚きに息がつまるのがわかる。そんな私の反応をたのしむみたいに、王太子がわらう。
「あいつが死んだとしても国には何の差し障りもない。あいつは、崩御した王が妾にうませた子供なのだからな。領主など首をすげかえればそれでいい」
卑怯だ。すごく卑怯で汚い。王太子は王子を人質にとって、私をうなずかせようとしている。
「お前がもし私の伴侶になるというのならば、あいつは殺さずにおこう。……あいつが生きるか死ぬかはお前の判断にかかっているぞ」
死なせたくない。胸の痛みの理由をしるまで、エゴでもなんでもいいから、せめてそれまでは死なせない。
「さぁ、どうする?」
決意をこめて王太子をみつめる。王太子の鳶色の瞳に、王子をおもった。
――フィンカの運命の歯車は動き出す。
ついた肘に顔をのせて、窓の外の風景をみつめる。晴れわたった空の下の蒼海。桟橋に、しろい帆をはためかせた船が停泊している。ニンゲンがたくさん行き来する。色んなニンゲンがいて、そして生活している。
私は今、城の一室に軟禁されている。私が王太子の正式な伴侶になるのは、崩御した王様の葬儀がおわってからになる。それまで私はこのオロテイン城にいて、挙式の日をまちつづける。
――王子。
心が
疼く。王子は、くらくてよごれた地下牢にいれられている。おぼえた文字でルネに手紙をかいて、『五分だけ』っていう約束で、一昨日逢わせてもらった。
はなせない代わりに、かいておいた手紙をわたした。巻きこんだことへのお詫び、ルネの伴侶になることに、今までのお礼、崩御した王様の葬儀がおわれば王子はオロテイン領主としてまた城にもどれること、そして――私はもう二度と王子には逢えないこと。それが王子との面会の条件だった。
『君が幸せなら、僕はそれでいいよ』
手紙を読みおわった王子は、そういって柵ごしに私の手をにぎった。嵐の中王子をたすけた時とかわらない、手のあたたかさがそこにはあった。でも、あの時とはもうちがう。私と王子をへだてるのは、世界ではなかった。金属のつめたい格子だ。
涙があふれてとまらなかった。涙に王子の姿がかすむ。王子が牢屋の中から手をだして、私の涙をぬぐった。私の髪に手をさしいれて、やさしくなでてくれた。
『君の亜麻色の髪や透明なマリンブルーの瞳を、ずっと綺麗だとおもっていたよ』
それが、面会で王子がいった最後の言葉だった。兵士さんの「時間です」という言葉に、王子は私の髪と手から手をはなした。遠ざかっていく温もりが、かなしかった。何度も何度も振りかえりながら、私は地下牢を後にした。涙をとめる方法もみつけられないまま。
――この気持ちが何なのか、結局わからなかった。
「フィンカ」
声にふりむくと、そこにいたのはルネだった。喪服をきている。多分、葬儀の帰りなんだろう。
「挙式の日取りがきまったぞ。一ヶ月後だ」
興味のわかない話だったから、目をそらして窓の風景をぼんやりとみつめる。桟橋に停泊していた帆船がちょうど出航するところだった。
「あいつに、大使として他国へいく任務をあたえた。私たちの挙式までかえってこない」
耳をうたがう。いつの間にか私の背後にまでやってきていた王太子が、今出航したばかりの帆船を指さす。
「あいつが乗船したのはあれだ」
いかなくちゃ。反射的におもった。王子と離れたくない。ずっと一緒にいたい。駆け出そうとした私を、王太子がひきとめる。ルネの左手が私の腰にまわって、右手が私の頬をつつむ。
「お前は私の伴侶となる。どこにもいかせない」
視界の端で、王子のいる船が大海へとすすんでいく。必死で船を目でおう。ルネが無理やり私の顔を自分の方にむかせた。怒りにもえる鳶色の瞳が、私を見据えていた。
「あいつにはわたさない」
ルネの唇が、私の唇とかさなった。
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