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アクア・マーメイド

CHAPTER 04

 ニンゲンとしての最初の記憶は、まぶしい陽射し。
 私は何かやわらかいものに寝かされていた。光をさえぎろうとして手を顔にかざした時に、きづいた。指の間に、水かきがない。爪がみじかい。そこには、ニンゲンの手があった。私の手なのに、ちがうみたい。しばらくみつめてしまう。
「気分はどう?」
 勢いよく起きあがる。そこにいたのは、私に魔法をかけた彼。間違いない。髪が太陽のように光り輝いている。彼が椅子に腰かけて私をみつめている。
 逢いたかった。胸がいたくて仕方がなかった。魔法をといてほしかった。色んなことが一斉に口からでようとして、喉の中で押し合い()し合いしている。何も言葉にならない。
「どうかした?」
 魔法をといて。そういったはずだった。私の喉がつくりだしたのは、かすれた息の音だけだ。

『お前の喉はその機能をうしなうよ。わかるね? はなせなくなるということだ』

 深海(やみ)の魔女の声がよみがえった。はなせないというのは、こういうことだ。気持ちをちゃんとつたえられない、ということ。こんなに彼の近くにいるのに、何もいえないなんて。
「どこかいたいのかい?」
 喉に手をあてたまま首をふる。そしていくつかの、音をともなわない言葉をはなす。
「しゃべれない?」
 うなずく。つたわったのがうれしくて、おもわず笑顔になった。この調子なら、やっていけるかもしれない。
「ここがどこだかわかる?」
 首をふる。
「ここはラピストリ国のオロテインだよ。そして僕は、オロテインとこの城の領主。君は、この城の浜辺にたおれていたんだ」
 音がして、ドアがひらいた。はいってきたニンゲンに見覚えがあった。彼をつれていったあの老人だ。私と目があうと、その老人は会釈をした。しろい布がかかった何かをおしている。おす度に、ガラガラと音がした。
「オウジ、お茶をおいれしました」
「ありがとう、ロドルフ」
 彼が優雅な手つきで何かをつくっている。深海の魔女のつくる薬草になんだかにている。あまくていい香りがした。多分、飲み物なんだろうとはおもう。
「君ものむ?」
 うなずく。茶色の液体から、しろい霧がたちのぼる。
「あついから気をつけてね」
 彼の忠告はありがたかったけれど、おそかった。茶色の液体がはいっている容器をつかんだ私は、あまりのあつさにおもわず容器から手をはなしてしまったのだ。液体がおちていく。真っ白な布が液体の色にそまる。容器が音をたてた。
 液体をかぶった手がいたい。ぎゅっと握りこむ。痛さは全然ひいていかない。
「手にかかったんだね!? みせて!」
 にぎりしめていた手を、彼がにぎる。手のひらをこじあけられて、水にひたされる。水の表面がゆれている。水の中でも、彼の手の温もりをかんじる。魔法の手。手はもういたくないのに、今は胸がいたかった。どうしてなのか、どうしてもわからない。もう一度逢えば、きっとわかるとおもっていたのに。
「君、名前は?」
 彼が私をじっとみつめていた。頬が何故かあつくなる。心臓の存在をかんじた。どくどく、音がする。
「ゴメン、君ははなせないんだったよね。……僕が君に名前をつけても、いい?」
 うなずく。私はもうニンゲンなんだから、昔の名前なんかに用はない。あたらしい名前をもらったって、きっとバチはあたらない。彼がくれる名前なら、なおさらだ。
「『フィンカ』って、どうかな」
 フィンカ。私は、フィンカ。すごく綺麗な、いい名前。こんな綺麗な名前をもらえるなんて、私はすごく幸せだ。うれしいって、ありがとうっていえないから、その代わりに私はわらう。つたわればいいなって、願いながら。

「あら、フィンカ様。練習ですのね? もうしばらくお待ちになれば、王子殿下はいらっしゃいますよ」
「そんなにまたなくてもいいよ」
 侍女さんの背後からあらわれた王子がわらいながらいう。侍女さんはびっくりして箒をおとしてしまった。侍女さんにはわるいなぁとおもったけれど、ついわらってしまう。
「じゃあ練習をしようか、フィンカ。おいで」
 王子の部屋はいつもきれいに片づけがされている。開け放した窓から気持ちいい風がふいて、カーテンがゆらゆらとゆれている。窓の外の樹の緑の葉っぱがそよいでいた。
 ――深海の魔女のくれた薬で私がニンゲンになってから、四ヶ月。私は王子を先生にして字をならっている。身振り手振りやジェスチャーだけじゃ、うまくつたえられないことがあるから、それを補うためだ。
 字をならうようになってから得たものはすごくおおきい。一日一冊でよんでも十年はかかりそうなほどある城の蔵書をよめるようになった。本から、私はニンゲンの知恵を手にいれた。これは大きな収穫だとおもう。
「今日は、この本のここからここまでをうつすこと」
 うなずく。今つかっている本は、王子がちいさいころによくよんだ本だ。王子は本の内容を全部暗記しているらしい。それ位よむことができるって、なんだかすごい。本の内容は、この国の昔話だ。間抜けなニンゲンやかしこいニンゲンやずるいニンゲンがくりひろげる、昔々の物語。
 今日うつすのは、昔の王様の物語。昔、ある国に王様がいて、その王様はふると雨がふる鈴をもっていた。雨がずっとふらないときは王様は鈴をならして、国民をたすけていた。王様は鈴を大切にしていたけれど、その鈴が何もしらない泥棒にぬすまれてしまう。鈴を盗った泥棒は、何もしらずに鈴をふりつづける。
「フィンカ、かけた?」
 王子にきかれて、ノートをみせる。三分の二くらいはうつせた。王子がほほえむ。いつもの痛みが、ぐさりとささった。ここにきてからもう四ヶ月もたつのに、私はまだこの胸の痛みの理由がわからない。きっといつかわかる日がくるのだろうけれど、それまで私はずっと。
「オロテイン領主殿!!」
 突然ドアがひらいて、(よろい)をつけたしらない男のヒトがはいってきた。すぐわかるほどすごくあわてているんだけど、なんだか元気がないみたいだった。王子の隣にすわっている私に気づいたみたいだからかるく頭をさげる。
「身を改めずのご無礼を、平にご容赦ください。早馬での報せにございます。王が、御崩御されました」
 王子はおどろいて立ちあがって、インクのビンを弾みでたおしてしまった。王子の綺麗な服に、青黒いインクがべたりとひろがって、私はあわててドレスのすそでふいた。インクがついていることにも、私がふいていることにも、王子はまるで気づいていない。
「父上が、崩御なされた?」
「はい」
 空気がおもくなっていく。そんな状況じゃないのはわかっているけど、私は王子の服をひっぱった。インクがついているのを、どうしてもおしえたかった。やっと王子は気づいてくれて、インクでよごれている箇所にふれた。王子の指先が青黒くよごれたのに、拭こうとしない。まだついているのに、王子は手をぎゅっと握りしめた。
「フィンカ、『崩御』っていうのは、王様がお亡くなりになることをいうんだよ」
 『王子』っていうのは、『王様の子供』のことだということは本でよんだからしっている。王様がなくなったっていうことはつまり、王子のお父様がなくなったということだ。
 もし、これが私のお父様だったら。きっと私は大声でないていたとおもう。お父様は私を可愛がってくれていたから、さびしくてかなしくて、泣くしかできないんじゃないかとおもう。なかない王子は、つよい。
「現王太子のルネ様が王になるのか」
「いえ、それが」
 その男の人はなんだかいいづらそうだ。
「まさか、あのふるいしきたりではないだろうな」
「そうでございます」
 王子がいっている『ふるいしきたり』とは、『王位につくときは必ず伴侶がいること』というものだ。前に、王子の補佐をするロドルフさんにおしえてもらった。
 理由は二つ。一つは、人生の片翼がいないのに王位につくと、人の愛を解することができないので人道的な政治ができない。もう一つは、王をいさめる者が必要。よくわからないけどそういうことらしい。ただの臣下では手打ちにされてしまうおそれがあるから、地位のある王妃にそれをもとめる。
 そのルネさんは結婚をしていないので王位につけない、そういうこと。
「相手はでたか? 王太子に正妃がいない場合は神官による占いでだすだろう?」
「はい、そうでございます。結果も、もうでました。ですが、その女性は」
「……私が説明いたしましょう」
 鎧をつけた男性数人を引きつれたニンゲンが突然あらわれて、そういった。もちろん、誰だかしらない。フードをかぶっているせいで、顔がよくみえない。男か女かもわからない。だけど、うごく度にみえる髪の色は、真っ黒。夜空の色ににてる。
「御目文字かなえてうれしゅうございます。わたくしはスミス・シェーブ。ラピストリ王宮内で第一位の神官で、今回の占いもさせていただきました」
 その人が礼をする。名前をきいて、さらに男か女かわからなくなった。澄んだ綺麗な声をしている。
「さて、第二王子殿下。占いの結果をおつたえいたしましょう。王妃となるべき女性は――」


「そこにいらっしゃる、フィンカ様です」
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