[ 前へ / 作品目次へ / 次へ ]

アクア・マーメイド

CHAPTER 01

「何なのよあいつ、暴力反対!」
 夏魚(かな)はひとしきり愚痴った後、数学の授業中にやられた後頭部をなでる。日本の法律では、教師は生徒に体罰をくわえてはいけないのではなかったか。
「授業中に堂々とねる夏魚が悪いわよ」
 あっさりはっきり他人事でいわれ、夏魚は授業中に自分をおこそうと奮闘してくれた恩人の有沙(ありさ)をねめつけた。しかし、有沙からすると嫌味の一つや二つは我慢してほしいところだ。何せ、人が奮闘した末の彼女の寝言が「鈴がぬすまれたっ」なのだから。
「そういえば。しってるだろうけど、例のウワサ、きいた?」
「『校長はヅラだ』ってやつ? ありえるよね、なんか急に髪の毛ふえたし」
「ありえそうだよね年だし。ってちがう!」
 有沙にツッコまれても、夏魚はどこ吹く風だ。
「高洲江湾に人魚がでるのよ!」
 夏魚はアクビをかくす手を口にあてたまま、かたまった。
「ににににに、に、人魚?」
「そう、人魚! 上半身は人間なんだけど、足の代わりに魚のヒレがある」
「いや、しってるから。いくらバカな私でも」
 そこまでバカにしないでほしい。
「とにかくね、あの人魚! みた人がいるんだって!」
「見まちがえたんじゃないの?」
 その言葉に有沙は、夏魚の額に右手、自分の額に左手をあてた。
「何してるのよ?」
「夏魚、熱でもあるんじゃないの? いつもなら、おしえなくてもこんな話はしってるのに。しらなくても、きいたら食らいついてはなさないのに」
「人をスッポンかピラニアかなんかにしないでくれる?」
 熱なんてないわよ、と夏魚は有沙の手をふりはらった。バカは風邪をひかないのだ。
「まぁとにかく、それで?」
「みつけて、つかまえるの! 人魚を!」
「人魚をつかまえるぅ? つかまえてどうすんのよ」
 眉根にぐっとシワをよせた顔でいわれても、有沙はへこたれない。目をキラキラとかがやかせて、拳をきつくにぎりしめている。
「今人魚をつかまえると、お金がもらえるんだって!」
「へーほーそうかいそうかいそりゃ素敵なこって」
 夏魚は自分のながい髪を指にまきつけてはほどく、をくりかえす。やがて枝毛探しをはじめた。有沙の話などきいていないのは一目瞭然だが、有沙はますます熱心に語る。
「一緒にさがそうよ。プチ遭難した仲じゃない」
「小学校にあがる前でしょー」
「いや〜あん時は焦ったよなぁ」
 突然別の声が割りこんだ。それが背後からだった夏魚は飛びあがり、『私をおどろかせるなんていい根性してるわね、誰なのよ?』と振りかえる。割りこんだ人間の姿を視界にとらえて、夏魚は表情を硬直させた。
「私なんか泣いちゃったのにさ、海人(かいと)も夏魚もむしろたのしそうにずんずん森の中にいっちゃうから本当にどうしようかとおもったなぁ」
「いいじゃん、今いきてんだから。いやー今かんがえてもいい経験したなぁ」
「よくないよ。私、しばらくはおやつ抜きだったんだから」
 有沙と海人のかけ合いに、夏魚はため息をついた。二人には是非わすれていてほしいのだが、実は言いだしっぺは夏魚だ。テレビでつちのこの特集をみて、じゃあ自分たちもさがしてみようとおもった。結局、森の中でプチ遭難。捜索隊のお兄様方にたすけてもらったのだ。
「ところで、何の話だったんだ?」
「人魚捜索の話。夏魚が『やる』っていってくれない。ホントはやりたくて仕方ないくせに」
「自分に素直になれよ、夏魚。それにこういうのは、」
 そういって、海人はわざわざポーズをつけた。力こぶのポーズなのだが、なんだかへろへろしてみえる。元々筋肉がないのだから、当たり前だ。
「『谷村謎究明or解決何でもお任せ谷高少年&少女団』が乗りだすべきだろ!」
「ながいって」
 『谷村謎究明or解決何でもお任せ谷高少年&少女団』というのは、よんで字のごとく、「ここ、谷村でおこった謎を究明するか解決する」という団だ。
 団長は夏魚。副団長が須貝海人、つまり、ここで力こぶをつくってニヤニヤ(本人としてはさわやかなスマイル)している、この海人だ。後は調査員などで、有沙もその一人だ。他に四〜五名がいる。ただし、無条件で入団できるわけではなく、世界のミステリーを十あげられる者のみだ。
 しかし、実際問題、谷村でのミステリーは『ほとんど』や『めった』を通りこして全くなく、最後に活動したのも三ヶ月前。それも、『自分の家の庭に不気味で悪臭を放つ物がある』というものだった。ついでにいうなら、それは腐敗したぞうきんだったのだが。
「にしても変だな、お前がノリ気じゃないって。お前、こういうのすきだよな?」
 海人にまじまじと目をのぞきこまれて、夏魚はぷいと目をそらす。当然海人は、こまった顔になる。
「俺、何かお前にやらかした?」
 そういいながらぐっと顔を近づけられ、あわてて後ずさった夏魚は椅子から無様に、しかもハデに音をたててころんだ。


「俺、かんがえてみたんだけど、例の人魚のでそうなとこって、ここと、」
 そういいながら海人は机の上の地図を指し、目立つように赤ペンで丸をつけた。残りの有沙をふくむ団員五人は海人が丸をつけた箇所をみる。みんなが頭を寄せあっているのと同じ部屋の隅で、夏魚は対岸の火事を決めこんでいる。
「ここの二つだとおもう。目撃証言からかんがえて」
 目撃証言といっても、一つ二つの証言だったりする。
「何か質問あるやつ、いるー?」
 海人は頭を寄せあう自分の部下の顔をみつめた。夏魚をのぞく、あつまった全員はそれぞれに色々かんがえ、時々ぼそぼそと言葉をかわす。
 ここは、夏魚たちのかよう谷高の教室の一つだ。圧倒的な生徒不足で空き教室がおおく、そこの一つを利用している。それぞれが机にむかってかんがえている中で、海人は夏魚に視線をむけた。興味がないフリをしていた夏魚だが、実は全神経をかたむけて話の内容を探っていたので視線が合う。
 じろりと海人ににらまれて、夏魚はかたまった。蛇ににらまれたなんとかだ。
「はいらないのか?」
 表情をこわばらせたまま、夏魚はおおきく、ぶんぶんと首をふる。海人の目が半眼になる。
「じゃあお前は何でいるんだよ」
「だって私、一応団長だし〜? 変な計画たてられたら、たまんないしいぃ〜?」
 しかしそういいながら夏魚は、すわっていた折り畳み椅子をたたんでもどすという、退室の準備をしている。こっそり見ていた有沙がため息をつくほど、ものすごく情けない。これが団長のあるべき姿だろうか?
「う、ふふふふ、はは、じ、じゃあね〜」
「じゃあな。ねる時は腹だしてねるなよ」
「余計なお世話よっ!」
 放課後なので誰もいない廊下を、夏魚は一人むなしくあるく。さっきまでいた教室で話す声がきこえなくなるほど遠くまできて、ため息をついた。
 ――最悪。なんか最悪。すごくイヤ。
 だが、ああいう態度しか夏魚にはできない。するしかない。
「あんなの、いなくても全然いいんだけどなー」
「何がだい?」
 後ろにまわしていた腕をつかまれて、夏魚は半回転させられる。生地のうすい夏服の背中に、校舎の壁を感じた。突然のことに見開かれた夏魚の目に、眼鏡をかけた彼の姿がうつる。
「やぁ、墨江くん。また須貝といたのかい」
 嫌味たらしくそういった彼は、軽侮にわらう。こいつはいつもそうだ。海人をやたらと、理由も遠慮もなく馬鹿にする。夏魚にとって、それはゆるせることではない。そのくせ、何故か夏魚だけは特別扱いなのだ。
「放しなさいよ、波沢」
 手をふるが、全くほどけない。夏魚は波沢をにらむ。波沢にそれを気にする様子はない。
「須貝が人魚をさがしているらしいね。人魚は人間の想像の産物で、それもジュゴンを元にしている、ということぐらいは君にもわかるだろう?」
 それくらい、しっている。テレビかなんかでもさんざんやっているし、辞書にまで載っている。だからといって、海人を馬鹿にしていいはずがない。
 ――我慢、我慢。こんなやつをマトモに相手しても、つかれるだけ。
「大方、人魚の報奨金目的なんだろう?」
「だったら何なのよ。アンタに関係ないでしょ?」
「あるね。人魚の報奨金をだすのは僕の叔父だ。僕はとめたのだけど、外国暮らしのながい叔父は珍品に目がなくてきく耳をもってくれなかったんだ。人魚も自分のコレクションに加えたいらしい」
 波沢の一族は、この村のスケールと遥かにケタがちがう金持ちだ。本家でも分家でも会社を経営して、株式にも上場しているのだという。そしてこいつは本家の跡取り、つまり御曹司だ。
 その御曹司がなんでこの村の高校にかよっているのか、夏魚には甚だ疑問だ。御曹司だというのならなおのこと、都会の私立にでもいかせればいいのだ。そっちの方が、いずれ波沢がしょって立つ会社にも夏魚の精神衛生にも一番いいことだと、定期テストでいつも赤点の夏魚にもわかる。
「人魚のことが本当にせよ嘘にせよ、どっちにしても須貝は報奨金を手にいれられないとおもうな。正直、無能なあいつに指揮される団員たちが哀れでしかたないよ」
 全身がふるえる。喉に全身から何かがあつまって、外へでようとせりあがる。
「バカにしないで! 宣言するわ。『谷村謎究明or解決何でもお任せ谷高少年&少女団』は、団の威信にかけても人魚をつかまえる!!」
 歓声があがった。
「へ?」
 夏魚と波沢の両方が、顔を歓声のきこえた方にむける。歓声をあげたのは、海人と、部屋にこもっていた全員で、ドアから全員が身を乗りだしている。
「みんな、きいたよな?」
 団員たちが一斉にうなずく。団員たちは、夏魚の発言の立派な証人だ。
「団長の夏魚がここまでいったからには、俺たちも本気をだすしかねぇよな!」
 ワーッと団員たちの声がはじけて、拍手がなった。
「今のは」
 なし、とつづけようとした夏魚の肩を、誰かがつかんだ。海人だった。子供のように、うれしそうに無邪気にわらっている。
「夏魚、ありがとな」
 ――私には、いえないよ。海人の笑顔をこわすことなんてできない。
 夏魚の心に石がおちて、波紋がたつ。
[ 前へ / 作品目次へ / 次へ ]
Copyright © 2006 Fumina Tanehara. All rights reserved.