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アクア・マーメイド

君と一緒に<後>

 頭ががくりと揺らいで、猛烈な眠気がすこしゆるくなった。眠すぎてあまり舌がまわらないけれど、なんとか謝る。でも、それから数十秒後にはまたうとうとしてしまう。
「大丈夫か?」
 波沢が気をつかってくれた。『大丈夫』なんていえないほど眠かったけど、ここは嘘をついておく。こうなったのは全部私がわるいのに、のんびりとねむるわけにはいかない。私にはここから安全に脱出する方法をかんがえる義務がある。
「もしかして、ねむい?」
「うん……ううん! ねむくなんかないよ」
 ものすごく眠い。まぶたに重石がのってるみたい。いやいや、眠るな、自分! これは自分と自分の戦いなんだから負けちゃダメ! ねむくなんか……。
「ねむいなら、寝てもいいよ。ねむっている頭で無理にかんがえるより、ねむってスッキリした頭でかんがえる方が効率的だとおもう」
「ダイジョウブだよーねむくなんかないよ」
 目がかすむ。ダメダメ、ねるな私ー。
「僕のでよかったら肩をかすから、どうぞ。石村くんが僕が気絶しているとき膝をかしてくれたのにくらべれば大したものじゃないけど」
 ちょっとくらいならさ、いいんじゃない? わざわざ貸してくれるっていうし。波沢がいったみたいに、すっきりした頭で考えるほうがずっといいよ。……ダメだってば、波沢に迷惑かけちゃうよ、ダメったらダメ!
「いいよー、迷惑かけちゃう」
「どっちかと言えば、そんな頭でアイディアをだしてもらう方が、精神衛生的に迷惑だな」
 ……う。もういいじゃん、ねようよ。はい、決まり。
「十五分たったらおこして。変なことしたらみんなに夏魚にフラれたこというから覚悟してね」
 最後までちゃんといえたかどうかはわからない。波沢の肩によりかかって目をとじたその瞬間、意識は眠りの暗闇に急降下していった。

 首筋がズキズキといたくて目がさめた。波沢の肩をかりたのはいいけど、やっぱり無理な姿勢で首をのばしていたからだとおもう。痛いけど、波沢のいった通り、一回ねむったら本当に頭がスッキリしている。
 ――まって、なんで波沢はおこしてくれなかったの?
 その理由は、すぐにわかった。波沢の投げだされた足も、膝の上の手もピクリともうごかない。胸が規則正しく上下していて、半端にあいた口の隙間から空気が出入りしている。波沢もねむっていた。男子の寝顔を、海人以外ではじめてみた。海人のはかなりだらしないけど、波沢のはキチっとしてる。寝顔にも性格ってでるんだなぁ。
 眼鏡をかけたまま波沢はねむっていたから、おこさないようにして眼鏡をはずしてあげる。全然おきない。ちょっとした出来心で眼鏡をかけたら、頭痛がした。あわててはずす。何これ、人間のかける眼鏡じゃないよ。波沢、毎日どれくらい勉強してるのよ?
 たたんだ眼鏡を波沢のシャツの胸ポケットにいれてあげる。波沢の寝顔をじっとみていたら、また申し訳なさがよみがえった。みんなで口裏をあわせて、今日は私の家に泊まっていることになっているから家族の人は心配していないだろうけど、波沢は家が恋しくないのだろうか。私は家のやわらかい布団が恋しい。
 ――どうやってここから出よう。
 私たち、一生ここにとじこめられちゃうのかな。そしたら餓死しちゃうだろうなぁ。頼りない弟二人は一体どうしてるんだろ。なんとか自分たちでしぶとくやってくれてたらいいんだけど。
「私のバカ」
 全部、自業自得。それはよくわかってる。こうなったのも全部、私の無神経さがまねいた結果。「自分をせめなくてもいい」って波沢はいってくれたけど、でもやっぱり、責めずにはいられない。夏魚をにがしたことに後悔はしてない。するはずがない。例え私が原因でなかったとしても、私はやっぱり夏魚をたすけにいった。
 だって、大切だから。夏魚も海人も。夏魚がつかまるのも嫌だし、海人が夏魚を憎むのも自暴自棄になるのも黙ってみていたくない。波沢にはわるいことをしたとおもう。なんの関係もないのに、巻きこんで、ひどい目にあわせて。無事にもどれたら、いっぱいお礼をしよう。お父さんがとってきた新鮮な魚とか。
 突然、金属の音がした。何の音かわかんなくて変な声をだしてしまう。よくかんがえたら、鍵があく音だ。誰かくる! あわてて波沢をたたきおこす。自慢じゃないけど、寝ぼすけをおこすことなら慣れてる。我が家には二人(時々三人になるけど)もいるんだから。
「石村くん? 一体どう……」
「あくびなんてしてる場合じゃないわよ! 誰かくるのよ!」
 波沢の表情がガラリとかわった。だけど、手探りで何かをさがしている。
「メガネは胸ポケット!」
 教えると、波沢は即行でメガネをかけた。ドアのノブが数回ガチャガチャとまわる。緊張でのどがかわいてきた。くるならこい。何があったって、人魚――もとい夏魚をかえす気なんてない。
 ドアの鍵があいたらしい音。そしてあらわれたのは。


 ほろ酔いのお客が、ろれつのまわっていない「おめでとう」を繰りかえす。助けをもとめて彼をみたけれど、彼もおなじような目にあっていた。お互いの視線がぶつかって、同じように苦笑する。解放されるまでには数分かかった。彼はまだからまれている。
 しつこいとおもってよくみると、それは私のお父さんだった。「漁師の心」とかなんとかアツくかたっている。きく価値があるとはおもえない話に、彼は真面目にうなずいてきいていた。それがとても彼らしい。つい口元が笑みの形になってしまう。
「お父さんったらもう。やめてあげてよ。こまってるじゃない」
「うん? そんなことはないよなぁ!」
「え、えっと」
 つりこまれてしまいそうになる彼をお父さんとひきはがす。
「与太話なら後でいくらでもきいてあげるから。主役の一人を独占しちゃだめでしょ」
「そうだよなぁ。お前からうばって独占しちゃわるいな」
 これだから酔っ払いは! なんておもってたら、お父さんは上機嫌そうにわらいながら別の場所にいってしまった。はずかしくて顔があつい。彼がそんな私をみて、クスッとわらう。
「有沙、おめでとう!」
「夏魚! それに海人!」
「ごめんごめん、この街にくるのは初めてだからまよっちゃって」
「そりゃタクシーの運ちゃんにちがう場所いったらまようよな……って、イテ!」
 夏魚の無言のパンチが海人のわき腹にきまった。色々あってしばらく会えなかったけど、本当に二人ともかわってない。初めてつちのこをつかまえにいこうとしたときから、高校生のときから、結婚式をあげたときから。それが本当に、何よりもうれしい。
「有沙をなかせたら承知しないぜ、波沢」
「わかってる。なかせるわけがないだろ」
 二人のやりとりも相変わらず。夏魚があきれまじりに苦笑する。あ、そうだとつぶやいて、おもむろに包装されたものを私にわたした。
「ゴメンゴメン、あやうく持ってかえるところだった。はい。幸せになってね」
「うん、もちろん。夏魚たちにまけないくらい幸せになるよ」
「じゃあすぐにまけちゃうなぁ」
 なんてジョークをとばして、夏魚はそっと私の耳元に唇をよせた。これでもかとばかりに照れた後、本当にはずかしそうに、でも本当に嬉しそうにささやいた。
 ――もうしばらくしたら、家族がふえるのよ。
 ついまじまじと夏魚のお腹をみつめてしまって、コラ、と頭をはたかれた。海人しってるのかな、とちらっと海人をみると、まだ彼とふざけている。もう一度夏魚をみると、人差し指を唇にあてた。「秘密よ」とささやかれて、うなずく。海人のおどろく顔が想像できて、私も夏魚も笑いをこらえることができない。
 ようやく海人たちは私たちの様子が変なことに気づいたけれど、おしえてあげるつもりなんてなかった。憮然とした海人の顔に、たった一度だけ幻にみた金髪の男の人――レオナールさんがかさなる。

 あの日ドアをあけて入ってきたのは、海人と人間の姿の夏魚だった。びっくりするしかない私に夏魚は抱きついて、「ごめんね」って何度もあやまりながら涙をながした。私もまた夏魚にあえたのがうれしくて、ないてしまった。話によれば、二人は彼――啓介の叔父にかけあって、私たち二人を解放してもらったのだという。
「全部ウソだったっていったの」
 涙にあかい目で、夏魚がいう。
「人魚なんてウソっぱち。私がイタズラで変装して、村のみんなの噂になりたかっただけだって言いわけしたの。報奨金なんていらないから、二人をゆるしてって」
「だって、あれは変装なんかじゃ……」
 身体中のうろことか、色のかわるヒレとか、あれが変装でできるものだとは到底おもえなかった。
「そういうことにしておいたんだよ。詳しい説明は後々してくれるんだってよ」
 すっかりいつもどおりの海人がいったから、私はそれ以上夏魚にきくことはしなかった。夏魚が無事で、夏魚と海人の二人の関係が元通りになったみたいだったから、それでよかった。
 そしてその夜の夢の中で、あの二人はでてきたのだ。
 私は真っ暗な世界の中にいた。最初は何がおきてるのかわからなかった。そして、突然まぶしい光が散って、そこにあの二人、人魚と男の人があらわれたのだ。あの人魚だった。すごく夏魚にそっくり。男の人も海人にすごくそっくりだった。瞳の色と髪の色とか、年齢による雰囲気がすこしちがうだけ。
『ご迷惑をおかけしました』
 人魚さんが頭をさげる。顔立ちは人間とすこしちがうけど、すごく綺麗だった。
『これでようやく、二人そろって永久(とこしえ)の世界にいくことができます』
 そういったのは男の人だった。人魚さんをすごく大事そうにささえている。二人について何にもしらなかったけど、でも、お互いを想いあっているのがよくわかった。
『ありがとう。本当にありがとう。あなたに海神(わだつみ)のご加護がありますように』
『貴女の人生が希望にあふれたものでありますように』
 世界が段々闇におちていく。二人の姿がきえていく。
『私の生まれかわりをどうぞ、せめないでください』
 翌日、何気なく海人や啓介にこの夢の話をしたら、同じ夢をみたのだといわれた。それをきいて夏魚は、一体何がおきたのかを全てはなしてくれた。普段なら到底しんじられないような話だったけど、あんなことがおきた後だから、すんなりとしんじられた。何より、夏魚がいうことだし。
「『めでたし、めでたし』ってトコだな」
 海人がそんな風に感想をもらしたことを、まるで昨日のようにおぼえている。
 ――そうやって、私たちの人魚事件はおわりをつげたのだ。


「ねぇ、今日は緊張した?」
 四次会にまでもつれこんだ宴会がおわって、私たちはやっと家にもどってくることができた。啓介は今、いずれ取締役となる会社の専務をしている。身も蓋もない言い方をすれば、私は「玉の輿にのった」ということだ。多忙な啓介のそばにいて私ができるのはなんなのか、いつもかんがえている。
「結構。おもったよりたくさん人がきたから……」
 語尾があくびだか溜息だかわからないものでつぶされる。
「お疲れ様」
 ベッドに腰かける啓介の正面から肩をもむ。彼の肩には、一体どんなみえない物がかかっているんだろう。それにつぶされないように、私も一緒に背負っていけるかな。……ううん、背負っていかなくちゃ。
「私は楽しかったなぁ」
「僕もだ」
 彼も同じ気持ちでいてくれてるんだ、とおもうと、うれしくってつい笑顔になる。ふと、啓介と視線がぶつかった。相変わらずのドギツい眼鏡はいつの間にか外していた。ほんの少し顔があからんでいるのは、お酒のせい? 私をまっすぐにみつめて、彼がいう。
「君と一緒にいるからだよ」
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※作品名は『君と一緒に』です。