[ 前へ / 作品目次へ / 次へ ]

アクア・マーメイド

君と一緒に<前>

「あ、おきた」
 状況がつかめずに、まばたきをくりかえす。まぶしい光が目につきささる。身じろぎすると、頭がわれるように痛んだ。呻き声がもれる。
「大丈夫!?」
 その声さえも今は頭にひびく。必死の思いで静かにするようにたのむと、その通りにしてくれた。目をとじると、まるで小船にのっているように、意識がゆらゆらとゆれる。しばらくたつとその不安定な感覚はなくなった。何がおきたのかがゆっくりと思いだされてくる。
 人魚として叔父につかまった団長をたすける計画をたてて、実行にうつした。後すこしというところで、自分は不意をつかれて――
「墨江くんと須貝は? ちゃんとにげたのか?」
「うん。絶体絶命のところで団のみんながきてくれて、海人はにげられたよ」
「そうか……よかった」
「だけど団のみんなもつかまっちゃって、今はどこにいるのかわかんない」
 目をあける。眉根をぎゅっとよせて、一緒につかまった仲間の石村有沙が自分をみおろしていた。今にもなきそうな表情だ。須貝や他の団員がよほど心配なのだろうか?
「ごめんね、波沢。全部私がわるいの」
 あまりにも唐突な謝罪に、おどろく。
 彼女は何もわるくない。むしろ、あやまらなければいけないのは自分のほうだ。穴のある計画をたてて、彼女や須貝たちを危険な目にあわせた。自分がそれをいうよりも、彼女が言葉をつづけるのが先だった。
「私が最初に、『人魚をつかまえよう』って言いだしたの。なんにもかんがえてなかった」
 それは初耳だった。てっきり須貝あたりが言いだしっぺだと思いこんでいたのだ。
「私があんなこと言いださなかったら、こんなことにはならなかったのに。みんなをつらい気持ちになんかしなかったのに! ごめんね。本当に、ごめん」
 彼女が顔をおおう。押し殺された息がきこえる。
「石村くんは何もわるくない。しらなかったのなら、仕方ない」
 気遣ってかけた言葉にも、彼女は頭をふる。
「何もしらなかったのも私がわるいの。ずっと幼馴染なのに、夏魚は私に何もいってくれなかった。私がそんな器じゃなかったから。……私がもっと、もっと今よりマシだったらきっといってくれたのに」
「自分をせめたって、何にもならない。何もかも自分のせいにしなくてもいい」
 今の彼女をみていると、二年前の自分を思い出す。身の周りでおこる何もかもが自分のせいで、希望も未来もなかった。あの出会いがなければ、きっと今でもかわらなかっただろう。
「それに、今の言葉を墨江くんがきいたら、きっと怒るだろうな」
 彼女は目をこすって、自分をみた。やわらかな笑みがうかぶ。
「そうだね。夏魚はいつだって、つよくてやさしいもんね。だからすきなんでしょう?」
 痛いところをつかれた。何もいえない自分を笑われる。
「ねぇ、なんで夏魚をすきになったの?」
「それは……」
 顔があつい。赤面したところをみられたくなくて、仰向けにねていた状態からおきあがる。起きあがってから、自分が彼女に膝枕されていたらしいことに気づく。
「おきて大丈夫?」
「大丈夫だ。頭ももういたくない」
 大丈夫なのは本当のことだ。でも、大丈夫でなかったとしても、平気なフリをしただろう。これ以上心配をかけるわけにはいかない。
 周囲に視線を素早くはしらせる。自分たちがいるのは、物置か倉庫のようだった。窓はなく出口はドアだけだ。叔父のことだから、ドアには鍵がかかっているだろう。外から鍵をしめるタイプのドアだから、中から鍵はあけられない。完全にとじこめられている。
 これからどうなるのだろう、ということはあえて考えない。かんがえたとしても、ロクなことを思いつけないだろう。かんがえてもかんがえなくても、自分と彼女の生殺与奪は叔父がにぎっている。
「今頃、夏魚と海人はどうしてるんだろ。夏魚にあったら、ちゃんときかなきゃ」
「一緒に仲良く水泳をしていたら頭にくるな」
「まっさかぁ。海人って、漁師の家系のくせにカナヅチだもん。ほめてあげたいくらい」
 『ほめたいほどのカナヅチ』はうまく想像できない。それでも、海人のカナヅチぶりがわかった気がした。おもわずニヤリとする。なるほど、どうりで『水泳』の単語がきこえる度に顔が引きつっていたわけだ。
「で、なんで夏魚をすきになったの?」
 時間差攻撃だ。ぐうの音もでない思いでだまりこむ。
「私、誰にもいわないよ。ね、だからおしえてよ」
 ここは多分、話さなければいつまでもずっときかれることになるのだろう。ため息がでる。でももう、おわってしまった恋だ。自分は、須貝の背中をおしてしまった。そう簡単にこの気持ちにケリはつかないだろうが、確かに誰かに話せばかるくなる気はした。
 思わず背筋がのびる。もったいぶるわけではないが、咳払いをする。
「僕は、私立の進学校に幼稚部から入学していた」
「私立の幼稚部!? そんなのあるの!?」
「普通にある。そこはいつも、みんながライバルだ。『こんなものだ』と割りきっていた部分もあったけど、どこか納得できない部分もあった」
 例え一緒にわらったとしても、それは表向きの関係だ。笑顔の下で互いの腹をさぐりあう。見抜かれないように、いくつもの嘘をついた。全てが空虚で、淡白だった。
「そんな生活を何年もつづけていたストレスで、僕は体調をくずしてしまった。医者からストレスのない生活をおくれといわれても、そんなのその学校にいる限り無理だ」
 確かに、と彼女はうなずく。
「だから、僕は静養のために本家のあるこの村にきた」
「たった一人で? 家族と、はなればなれで?」
「あぁ。父と母と姉とはなれて、僕はこの村にきたんだ」
「波沢、お姉さんいたんだ。でもいわれてみれば『弟』って感じ。何歳上?」
「二つ上。そういえば、姉と石村くんは雰囲気がすこしにているよ」
「そうなんだ。弟が二人いるからじゃない?」
 彼女に弟が二人いるというのは、初耳だったが妙に納得できた。『姉』というのは、誰でもおなじなのかもしれない。脳裏に、駅でわかれた時の姉の、苦しげな表情がよみがえった。
「それで、とにかくこういう事情でここにきた。でも、ここの生活にうまくなじめなかった。都会の生活のことばかりをおもいだして、ずっとふさぎこんでいた」
「この村が嫌だった?」
「正直にいえば、そうなる。ずっと殺伐とした都会でくらしていたから、のどかなこの村は別世界だった。もといた場所が監獄なら、今いる場所は収容所で、大してかわらなかった。人生がおわったと、本気でおもったよ」
 一週間に一度の姉からの電話が、都会と田舎の唯一のつながりだった。姉が精一杯の明るさで盛りあげる話に、ただ相槌をうつだけ。気のない自分の声に段々姉の声がよわくなっていって、電話をきる頃には消え入りそうにちいさかった。姉にそんなつもりが毛頭ないのはわかっているが、「ダメな人間」という声なき声が電話の雑音の合間にきこえた。
「この村にきてからは、防波堤のところでぼんやりすることがおおかった。その日も、いつものように防波堤のところでぼんやりしていた。そうしたら、そこに墨江くんがきたんだ」
「あれ? 夏魚とはじめてあったのって、入学してからじゃないんだ?」
「墨江くんはわすれているらしい。で、初対面の僕に墨江くんは……」
 思いだし笑いがこみあげた。彼女が不思議そうに首をかしげる。
「夏魚がどうしたの?」
「墨江くんは、僕のことを自殺志願者だと勘違いしたらしい」
「えっ!? ……あー、でも夏魚ならしそう」
 ありえるというのは同感だった。それはもちろん、今だからわかることだ。
「その時墨江くんに、いわれたんだ」


 名前もしらない少女が、あわてた表情で自分にうったえかける。
『あきらめないで、死ぬのは早いわ!』
 誤解だとすぐに気づいたが、ショックだった。自分が初対面の人間に自殺志願だと勘違いされるほどひどい顔をしていたとはおもわなかった。でも、自分の心は死んでいた。
『僕でも、大丈夫だとおもう?』
『もちろん! あなた、私とおなじくらいでしょう? まだまだ大丈夫。人間がいきているのは、虫にくらべたらながいし、星にくらべたらみじかいんだから、人生、精一杯謳歌しなきゃもったいないよ』
 にっこりと、少女がわらう。『傾国』というほどではないけれど、どこか人を惹きつけてやまない笑顔だった。これまでの人生の中ではじめてみる、本当の感情。
『いつか、今が昔になるよ』
 これから自分は、少女の笑顔を皮切りに、今までしらないものにたくさんであうだろう。そしてそれを受けいれていくはずだ。いつか、都会の生活を思いだすこともなくなる。少女は、そうおしえてくれた。
 希望と未来を、その日、確かにもらったのだ。


「そっか、夏魚がそんなこといったんだ。なんか、わかる気がする」
 いうべきことは全部いってしまって、もう言葉はなかった。二年近くすきだったのに、三分足らずでフラれたことを思いだすと気がしずんだ。けれど、それすら思いだすこともなくなる日がくるのだろうか。想いが通じあった誰かに、わらいながらいつか、この恋の話をするのだろうか。
 それは、はてしない未来のようにおもえた。だが、直感めいたものを感じる。確かにそんなに近い未来ではないが、悲観するほど遠い未来でもない。それをおしえてくれたのもまた、あの人なのだから。
「私もね、波沢みたいに、一番落ちこんでた時夏魚に元気づけられたことがあるよ」
「石村くんも?」
「うん、お母さんが死んだとき。なんていうか、気持ちにカバーがかけられちゃったの。人形みたいに、ずっと無表情でみんなに心配かけて。そしたら夏魚が、海人と一緒になってドッキリをしたんだ」
 人形のような無表情は、おだやかな微笑をうかべる今の彼女からは想像できなかった。あまりにもかけ離れている。
「でも、ドッキリのはずが本当になっちゃったんだ。予定では、海人がおぼれるフリをするはずだったのに、本当におぼれて、私と夏魚の二人で海人をたすけようとしたの」
「それで、助かった?」
「当たり前だよ、じゃなきゃ今の海人は幽霊になっちゃうじゃない。それで……海人が死なないですんだからうれしくて、お母さんが死んでからはじめて涙がでた」
「そんなことがあったのか。……石村くんたちの間には、誰も入っていけないな」
「だって私たち三人は、『つちのこの仲』でむすばれてるんだから」
 暗号めいた言葉を愛しげにささやいて、彼女はほほえんだ。
[ 前へ / 作品目次へ / 次へ ]
Copyright © 2007 Fumina Tanehara. All rights reserved.