『うれしいお知らせです。来週には梅雨明けだそうですよ』
――ダメ!
梅雨があけてしまったら、傘をかえせなくなってしまう。
――かえさなきゃ。明日絶対に、傘、かえさなきゃ。
降りしきる雨の中、いつもより一本はやいバスにのって、いつも彼がのってくるバス停でおりる。傘には彼の名前つきで『お預かりした傘をおかえしします』というメモをはりつけておいた。これを彼がくる直前にバス停の標識にひっかけておいて、後はみつけてもらえばいい。まわりくどいけど、直接あって渡すなんていう度胸は私にはなかった。ポーカーフェイスで傘を持ちかえることはできたくせに。
彼がのる予定のバスの時間まで、まだ時間はあるのに、心臓がうるさい。何度深呼吸をしても収まらない。そんなことをやっていたら、女の子のたかい声がきこえた。そんな必要は全然ないけど、つい隠れてしまう。私はここにいてはいけない気がしたから。
女の子が誰かと話しているのがきこえてくる。会話が一分二分とつづく内に、どんどん不安になる。もしかしたら、彼がくるかもしれない。もうきているかもしれない。傘をかえしたくても、女の子がいたらかえせない。
不安にまけて、バス停をこっそりとうかがう。目にうつった光景に、呼吸がとまった。
しらない学校の制服をきた女の子が、相合傘をして楽しそうにわらっている。女の子と一緒にいるのは、彼だ。はじめてみる笑顔。他人をこばむ、親密な空気。これは罰だ。勇気をだせなかった私への。
もう見ていたくない。逃げるみたいに、二人とはちがう方向へ走る。息をするのが、つらい。
――頬がぬれているのは、雨のせいだ。涙なんかじゃない。
――別に、泣く理由なんてない。
さっさと梅雨なんておわってしまえばいい。世界中の水がなくなってしまえばいい。こんな、彼の傘なんて。
――こんな傘、もう、いらない!
ひろげた彼の傘をふりあげる。ブロック塀に力の限り叩きつける。骨がおれて、いびつにひしゃげた。でも私の手はとまらない。こわしてこわして、こわしつづける。
全身の力がぬけてその場にへたりこむ。原型をとどめていない傘に答えをみつけたくて、じっとみつめる。
――私は、何をのぞんでいたの?
それはまだ、わかりそうになかった。でもこんな想いをするのは、きっとこれが最初で最後だ。来年の梅雨も、再来年の梅雨も、もう二度と私は、バスの中に置きわすれられた傘に手をのばすことはない。
だけどきっと、梅雨になるたびこの想いはよみがえる。こわした傘の無残さと、雨の冷たさと共に。
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