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ひまわりの君

 太陽が私の首筋をやいている。まるでトースターだ。少し身じろぎするだけなのに、汗がうかぶ。姿勢よくたちなおして、汗を掌でぬぐう。回転させたら首の骨がなった。ついでだから思い切り伸びをして、それからゆっくりかぞえて、全身から力をぬく。
 今日も暑くて、いかにも夏らしい。透きとおるような夏の青空。
(あおい)ー? そっち、おわったの?」
 奥からのお母さんの声に返事をしようとしたら、顔なじみのおばあさんがちょうど横をとおった。ほのかなあまい香りも一緒に横をぬけていく。
「ありがとうございました!」
 今日は百合だ。このおばあさんには上品で清楚な百合がとてもよくにあう。
「葵ちゃん、お疲れ様。あんまりがんばりすぎてバテないでね」
 このおばあさんはいつも微笑みをたやさない。このおばあさんみたいに、いつもどんなときでもわらっていられたらいいのになぁって時々おもう。
「はい、大丈夫です! ありがとうございます」
 おばあさんにつられて私もわらう。おばあさんの小さい背中が角をまがってみえなくなるまで見送る。お母さんに返事をしてないことをやっと思いだした。
「ならべるのおわったよー」
「お疲れ様。そういえば、そろそろあの子がくる時間じゃない?」
 実に上機嫌にいわれて時計をみると、時刻は二時半。悪寒が全身をかけめぐった。
「縁起でもないこと、いわないで! あんなヤツこなくたって……!」
「こんにちは」
 きた。噂をすれば影、ってやつだ。お母さんのせいとしか思えない。
「イラッシャイマセ」
「こら葵、お客様には愛想よく!」
 私の家は『ひなたのフラワーショップ』という小さな花屋を営んでいる。私が生まれる前、お父さんが脱サラをして一念発起ではじめたお店だ。閉店の危機を何度も乗りこえて、今はそれなりの売り上げを保っている。こいつみたいな客がくるのは困りものだけど。
「ひまわりさん、元気ですか?」
「私はひまわりじゃない」
 私のフルネームは日向(ひなた)葵。なぜこいつが『ひまわり』とよぶのかは、ヒマワリを漢字にしたらよくわかる。日向葵と、向日葵(ひまわり)。もう、わらうしかない。
「いらっしゃいませ。えっと、なに君だっけ?」
 店内でレジ打ちのはずのお母さんまでが店頭にでてきた。人口密度をあげないでよ。ただでさえ暑いってのに。
阿須田(あすた)ですよ」
「そうそう、阿須田君。ごめんなさいねぇ、うちの葵ったら無愛想で可愛げがなくて」
 阿須田はにっこりとわらった。実に偽善っぽい笑顔だ。こいつのこの笑顔に、いつもみんなだまされている。
「気にしません。ひまわりさんにほれこんで仕方ないのは俺ですから」
「っ!」
 言葉をつまらせた私とは対照的に、お母さんは大笑い。レジをたたいてお腹をかかえて、実にたのしそうなお母さんがにくたらしい。
「いいっ! 阿須田君、ナイスキャラ!」
 『ナイスキャラ』とかいう問題じゃないし。わらってる場合でもないし。
「ねぇ、うちの葵と結婚して婿養子にこない? 阿須田君なら私は大賛成よ?」
「本人の意向を無視するな」
「もうちょっと、お互いをよくしってから……」
「あんたもマジメにうけるな」
 つかれる。こいつとこいつが大のお気に入りのお母さんといると、なんかつかれる。二人とも波長があいすぎだ。迷惑この上ない。
「今日は何? 用すんだらさっさとかえれ。店の回転がわるくなる」
「ごめんなさいねぇ。葵ってば、もう、てれちゃって」
 お母さん、態度ちがいすぎだよ。どっちがお母さんの子供なのよ? 『将来の息子だから子供じゃない』とかいったら私、家出するからね。
「さっさとお店の中にもどったら? シミがふえるよ、お母さん」
 お母さんがものすごい顔で私をにらんだ。ふん、全然こわくなんてないんだから。
「葵のお小遣いは半分にするしかないわねぇ」
「脅し!? それってヒドくない!?」
「だって、お店の手伝いをちゃんとやってくれないのにお小遣いをわたすわけにはねぇ……」
 つまるしかなかった。ずるい、ずるいよ! 卑怯! ちびまる○ちゃんの藤木もビックリよ! 労働基準法違法だって訴えてやる! 行列のできる法律相談所よ!
「働かざる者、お小遣いをもらうべからず。葵、あんたにできるのは一つだけよ」
「……わかったわよ! 愛想よくすればいいんでしょ!!」
 こんなやつにまで愛想をふりまかないといけないなんて、私、絶対接客業だけはむいてない。でも背に腹はかえられなくて、ムリヤリ営業用スマイルをつくった。嫌味なくらい完璧に。
「何のお花をご入用でしょうか?」
「ヒマワリ、二つ」
「ありがとうございますー」
 ちょっとでも阿須田からはなれようとしたのに、お母さんの方が花を包みにかかってしまった。お母さんが私とこいつにどんなロマンスをもとめているんだかしらないけど、二人きりにされたところで進展するものでもない。
 お母さんのバカ。『結婚して婿養子』なんていうから。一体、何をしたらいいのよ――って、何私、こいつに気なんかつかっちゃってんの? あーもう、私のバカバカ。
「ひまわりさん」
 『ひまわり』とかよぶな。
「俺、明日も明後日も明々後日も絶対きます。昨日も一昨日も一昨々日もきたみたいに。ひまわりさんが俺におちるまで」
 馬鹿なんじゃないの、こいつ。私がこいつのモノになるわけないのに。絶対ないのに、毎日毎日、こうしてお店にきて花買っていって。
 本当、馬鹿みたいだよ。アンタ。
「ひまわりさんが俺におちるのも時間の問題でしょうかね」
 このっ、うぬぼれ屋あああぁぁっ!
「おまたせ。ヒマワリ二つ、いつも通り個別包装ね」
 お母さんがヒマワリを阿須田にわたして、阿須田がヒマワリの代金をお母さんにわたす。阿須田は私のほうをふりむいた。黄色いヒマワリがゆれる。
「はい、ひまわりさん。プレゼントです」
 そういって、買いとったばかりのヒマワリの一つを私にさしだす。いつもみたいに、当たり前みたいに。
「いらない。元々それ、うちにあったやつだし。ヒマワリなんていくらでもあるし」
「同じ花なんてありません。どれもこれも、にてるようにみえますけど、でも、完全に同じわけじゃないんです。ひまわりさんだって、わかりますよね?」
 こいつはいうことがなんだかいちいち正論だ。そこが気にくわないところの一つでもある。悔しまぎれに、嫌味ったらしく言ってやる。
「どうせだったら『本当に』すきな人にわたしなさいよ」
「ひまわりさん、何度もいわせないでください。俺が本当にすきなのは、ひまわりさんですよ。もう何度いったかわからないですけど。いいたりないなら、もっといいましょうか?」
「病院いけば?」
 こいつの頭は絶対、暑さでやられてしまったに違いない。速やかな受診をすすめてやるのが親切ってもんだろう。
「病院? せっかくですが、お断りします。入院生活であきあきしてるので」
「あら、阿須田君って入院してたことがあるのね。いつ頃?」
「ほんの最近までです。授業にはついていけますが、クラスメートとはどうにも話しづらくって」
 なんだか悪いことをいってしまった気がして、私は黙りこんだ。もうちょっと気をつかうべきだったかな。
「というわけでひまわりさん、ヒマワリをどうぞ」
「『というわけ』ってどういうわけよ!」
 前言撤回。やっぱりこいつに気をつかう必要なんて一切なし。これだけ図太けりゃ、殺したって死なないっしょ。さっき悪い気がしたのは何かの間違いよ、うん。
「やだなぁ、テレなくてもいいんですよ?」
「テレてないしそういう問題じゃないから!」


 ジメジメした風が店内に入ってくる。打ち水したけど、あんまり効果がないみたい。むしろ逆効果? 何もしてないのに浮きでる汗の玉をタオルでぬぐう。こんな暑くっちゃ、若さの花もしおれちゃうわ。
 ため息をこれでもかとばかりに吐きだしたら、店内に誰か入ってきた。いつものおばあさんだ。この暑さで、すごいなぁ。
「いらっしゃいませ」
 おばあさんは変にぎこちない動作で私の方をみた。言葉にできそうでできない違和感に襲われて、私はまばたきを繰り返した。
「今日は本当に暑いわねぇ」
「そうですね。電気代がかさんじゃう」
 おばあさんは白いハンカチで汗をぬぐった。
「どこに行っても冷房が強くて、すっかりひえて……しまったわ」
 おばあさんの足取りがなんだか頼りなくて、ハラハラする。お母さんが今小用でお店にいないのが急に不安になった。なんなんだろう、この嫌な違和感。
「葵ちゃん、今日はこれをお願い」
「わかりました」
 違和感の正体がイマイチつかめないままカウンターに入る。おばあさんから花を受けとってレジに打ちこんだ瞬間、電卓みたいに違和感の答えがわかった。
 おばあさん、今日は全然ほほえんでない。
「もしかして――」
 体調がすぐれないんですか? そう続けるつもりだった。でも、できなかった。レジの向こうのおばあさんの身体が床にぶつかる音がひびいたから。
「おばあさん!?」
 レジの上からのぞきこむと、おばあさんが胸を押さえて倒れているのがみえた。駆けよると、うつろな目が私を見つめてきた。ギクリとして動けなくなる。
 だって、前にもこんな目を見たから。私をみてるのに、私なんて見てなかったから。記憶が氾濫と叛乱(はんらん)を起こして、何も分からなくなる。
「ひまわりさん!?」
 いきなり割りこんできた声。はじかれたように顔をあげると、そこにいたのは阿須田だった。地震みたいに視界がグラグラゆれるとおもったら、肩をつかんでゆさぶられていた。
「しっかり!」
 妙に迫力のある声に、私は反射的にうなずいていた。まともな思考がどんどん戻ってくるのがわかる。
「おばあさん、倒れたの。私、どうしたらいいか……」
「俺、救急車よびますから!」
 私は何もできなかった。阿須田が救急車をよぶのも、おばあさんが救急車で搬送されるのも、人形みたいにおとなしくみていただけだった。はやく終われ、はやく元に戻れと願いながら。

「ひまわりさん、大丈夫ですか?」
「……」
 何も答える気がしなかった。手渡された缶ジュースの冷たさが気持ちわるい。
「顔見知りのおばあさんが目の前でたおれたら、そりゃあショックですよね」
 阿須田の言葉に、私は頭をふった。
「私……あのおばあさんみたいな何もない目、前にもみたの。私なんてみてなかった」
「お父さん――陽介さんのことですか?」
 え? なんで阿須田がお父さんのこと、しって――
「『入院してた』って、いったとおもいますけど。そのときの同室が陽介さんだったんです」
 うそ。うそ。うそ。阿須田がお父さんの同室だったなんて、そんな。
「『信じられない』って顔ですね。意図的に陽介さんのご家族に会わないようにしていましたから、仕方ないかもしれませんが」
 阿須田の表情は今までみたことのない真剣なものだった。
「どうして? ……どうしてこのお店にきたの?」
「陽介さんが亡くなる数日前に、頼まれたんです。『君が退院したら、妻と娘に会ってくれないか』って。きっと他意はなかったんだろうとはおもいますが」
 何も言葉にできなかった。言葉にならなかった。お父さんはどんな気持ちで阿須田に、お母さんと私にあってくれるように頼んだんだろう。私とお母さんとお父さんの三人で、阿須田を歓迎するつもりだったにちがいない。もしそういう形で出会っていたら、私は阿須田をどんな風におもっていたんだろう?
「俺はそれを承諾しました。その頃は陽介さんの容態は安定していましたし、陽介さんがご家族と一緒に働く姿をみたいともおもっていたので」
 涙がこぼれているのに気づいて、私はあわててふいた。でも涙はとまらなくて、私は手のひらで顔をおおった。ないてる姿を阿須田にみられたくなかった。まるでお父さんにみられてるみたいで。涙と一緒に、お父さんの想い出がいくつもあふれる。涙の一粒一粒に、お父さんとの想い出がとけこんでいる気がしてたまらなかった。
 阿須田が遠慮がちに私の背中をたたく。……バカね、私はそんなにちいさな子供じゃないのに。前なら即行で手をはたいていただろうけど、今はそうする気にならなかった。
「今まで言わなくてすみません」
 頭をふる。時期はともかく、お父さんの話がきけてうれしかった。
「俺が初めてこの店にきたときのひまわりさんは、陽介さんから話にきいていた女の子とは全然ちがって、ビックリしたんです。まるでしおれかけの花みたいで」
 阿須田が店にきたばっかりの頃の私は、まだお父さんの死をひきずっていた。心には毎日毎日、雨がふっていた。阿須田とあんな掛け合いができるようになるなんて想像もしなかった。
「ひまわりさんを元気づけるのが俺の使命だっておもったんです」
「じゃあ、『すき』とか言ってたの、ウソなんだね。わかってたけど」
「ウソなんかじゃありません」
 阿須田は力強く断言した。意外な言葉に私は思わず阿須田をみつめる。
「変な話ですけど。ひまわりさんに直接あう前から、俺はひまわりさんのことがすきだったんだとおもいます」
「本当に変だよ」
 私と阿須田はお互いに苦笑した。わらうと目尻から涙がこぼれた。
「『日向葵』っていう名前ですけど」
 阿須田がためらうように口をひらく。
「陽介さんいってました。『日向葵と向日葵が似てるのは偶然じゃない』って」
「え?」
 私の名前がヒマワリの漢字に似てるっていうのは偶然じゃなかったの? それに、私はてっきり阿須田が偶然名前が似てることに気づいたんだとおもってたのに、お父さんが阿須田に話してた?
「ずっとおもっていたそうです。子どもが産まれたら、娘でも息子でも名前は『葵』にすると。花屋を経営するのがずっと夢だったそうですから」
 私の名前に、私がうまれるずっと前からのお父さんの夢がこめられている? ……そうだよね、脱サラしてまでかなえた夢だもんね。それくらいの思い入れがなくちゃ、やってけない。お父さんは本当に花が大好きだったんだ。
「もう、『ひまわりさん』なんて呼ばれたくありませんか?」
 私は首をふった。我しらず、唇が笑みの形になった。明日からは「ひまわりさん」ってよばれることが誇らしくなる、そんな気がして。
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後書き(反転してご覧ください)
   色々と遊んだ話。日向葵と向日葵の元ネタは、中学の時の友人との会話から。許可は取りました、多分。
   阿須田の下の名前もかなり遊んでます(出てきませんが)。エゾギクの園芸上の通称が『アスター』なので、名前も菊を入れて「喜久也」にしてみました。こうなったらお母さんは日向なつみしかないですね。日向夏みかんで(笑)。←ここまで
公開 : 2007.08.12