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距離

 ころしてもころしても、それでも溢れでるこの想いを箱につめて、鍵をかけて心の海にしずめよう。一体いくつしずめたのか分からなくなるほどに。海が、飽和するほどに。


「もーっ、きいてよ財部たからくん!」
 一人の少女が場所をわきまえずに、たかい声で一気にまくしたてた。この場所でそんなことができる、彼女のその度胸をいっそほめたいほどの声だ。そして少女は、背筋をぴんとのばしてイスにすわって読書にいそしむ一人の少年に背後からのしかかった。
 その少年は読書に集中していて、完全に不意打ちだったらしい。たえられずに、そのまま前のめりにたおれて額を机にぶつけた。周囲の幾人かが二人をみる。
「あっ、ごめんね財部くん!」
 少女はあわててどく。彼女としては笑いとばせるようなサプライズのつもりだったのだ。どうもタイミングがわるかったらしい。あかくなった額をなでながら少年が起きあがる。眼鏡が食いこみ、いたそうだ。彼は眼鏡をはずして、眼鏡のフレームがゆがんでいないか確認する。
「大丈夫?」
 少女は身をのりだして少年の様子をうかがう。少女の、肩にながれるそめた金茶の髪が少年の頬にふれる。やわらかい香りが少年の鼻をかすめた。初めてあったときと変わらないかおりだ、と思い出して、少年は安堵をおぼえる。
「大丈夫です、御堂みどう先輩」
「本当に? 無理してない?」
 少女は少年の頬に手をあて、ぐい、と自分にむかせた。少年の首が約九十度にまわる。少年の琥珀の瞳と、少女の、どの角度から光がさしても変色するとはおもえないほど黒々とした瞳がぶつかった。きつい体勢だが、少年はおだやかにほほえむ。
「無理なんかしていません」
「ならいいんだけど。よかった」
 少女はほっと息をついた。
「でも、あえていうとするなら」
「えっ何?」
「今の、この体勢が一番無理をしています」
 少女のまわりにクエスチョンマークがとんだ。少年はやはりほほんだまま、頬をがっちりとホールドしている彼女の手を指先でかるくつつく。少女はぽかんと自分の手をみた。四秒くらいで少女はその意味に気づき、慌てて手をはなす。
「ご、ごめんね財部くん!」
 ただでさえたかい声がさらにうわずった。
「別にいいですよ、僕は。僕は別にいいんですけど、ちょっと」
「えっ何?」
「もうここをでた方がいいですね」
 少女は手品のハトよろしく、おしみなくクエスチョンマークをとばした。少年はやはりほほんだまま、周囲を指ししめす。ここは図書館で、校内でも静寂がもっとも尊ばれるところだ。
 しかし、最初から少女の声は並以上の大きさだった。これで普通に図書館を利用する生徒たちや図書館司書の顰蹙(ひんしゅく)を買わないとおかしい。少女を親の仇のようににらんでいた図書館司書と目があい、少女はあせる。
「うっうわ、すみません!」
 オクターブがあがった声で少女が周囲にむかって謝ると、少年から館内の人間を代表して冷静なツッコミがはいった。
「御堂先輩、お静かに」
「……すみません」

「それで、今日はどうされましたか?」
「んと、ちょっとね」
 少女は口ごもり、表現する言葉をさがしあぐねる。風が吹いて、少女の髪をうかす。そこにある天使の輪がわずかにゆがむ。地面にすわって、膝にあごをのせる少女の端整な横顔を、少年はじっとみつめる。少年の位置から横顔はあまりみえない。それでも少年は少女をじっと見つめる。
 図書館をにげるようにしてやってきた二人が今いるのは裏庭だった。今は昼休みなのだが、ほとんど人がいない。あまりにも日当たりがよすぎる裏庭は、食後の運動あるいはひなたぼっこに適していても食事の場所にはむいていない。
「またケンカですか?」
「ま、『また』って! 私たちそんなにケンカして……るけどぉ!」
 反論しようにもそれができない悔しさと現実。それがタッグをくんで少女の目の前にでんと居座った。
「で、今日はどういった理由ですか?」
 少年が水をむけると、彼女は随分と早口で話しだした。真ん中によった柳眉をみるだけで怒りがつたわってくる。
「あのねっ! 今日は、っていうか今日『も』私、あいつとお昼たべてたんだけど!」
「はい」
 少女と、少女のいうところの『あいつ』が一緒に食事をとるのはいつものことだ。そこに大した目新しさはなかったので、少年はいつも通り、いつも少女がそう切りだしたときのようにうなずく。
「あいつが、私のリンゴをたべたの! 無断で! しかも全部!」
 こういうこともいつものことだ。仲むつまじいことこの上ない。
「今日はリンゴなんですね。前回は確かウィンナーで、」
「その前はトマトで、その前の前はキウイで、その前の前の前は、えーと。あれーなんだっけー卵焼きじゃないしなーうーん」
 少女は頭を抱えてどうでもいいようなことを真面目になやむ。
「肉の包み焼き、でしたよね?」
「そうそれ! さすが財部くん、にしてもあーもーっくやしー!」
 わめきながら、少女は地面をばしばしたたく。
「よかったですね」
「どこが、何がっ!」
 少年と少女の様子はまるで、子供の扱いに慣れたベテランの保育士と、うまく丸めこまれていることに気づく由もない子供である。
「そのリンゴは自分のためではなくて、あげるためにあったのでしょう?」
 図星をさされて、少女はしぶしぶうなずいた。どうして財部くんはいつも私のことお見通しなんだろう、私ってそんなにわかりやすいヤツかなぁ。見ぬかれる度にいつも少女はそうおもう。
「それなら、そんなに御堂先輩がおこることはないとおもいますし、結果オーライですね。それに、本当は御堂先輩、リンゴはおきらいなのでしょう?」
 少女はため息をつく。
「確かにさ、最初っからあげるためにいれてたんだから、別にあげるのがイヤなわけではないのよ? ないんだけど」
 グロスでかすかにあかい唇をかむ少女を、少年はみつめる。
「だけどさ、私としてはいきなりたべられるんじゃなくて『どうぞ』とかなんとかいってわたしたかったのに、あいつ」
 少女が息を吸いこんだのをみて、少年は耳に指を突っこんだ。
「失敗よ、も――――っっ!! ドアホ――――ぅっ!!!!」
 少女のたかい声が、校舎にぶつかってかるくこだまする。声の大きさとさけんだ内容に、校内にいたらしい何人かが廊下の窓をあけて「なんだなんだなんなんだ」とのぞきこむ。彼らの視線を意図的に無視して、少年はおだやかに少女に語りかける。
「落ち着いてください、御堂先輩。それに、機会はいくらでもありますから、気をおとさずに、あきらめずに明日もがんばってください」
 少年の言葉に、少女はこっくりと、子供のように素直にうなずいた。肩の力をぬいて、こいため息をつく。
「ねぇ、財部くん」
「どうしました?」
「財部くんって、本当に私より年下なの?」
 少年は黒縁の眼鏡の奥の目をかるくみはった。少女はいつだって突拍子のないことを平気でやってのけるが、今のこれは特にそれの極みだ。少年の反応に、少女はあわてて理由をつけくわえる。
「だってなんか私よりもずっとなんかどっしりしてるし、それになんかすごくなんかやさしいし」
 あわてすぎるあまり『なんか』を四回も連発してしまった少女の様子に、少年はほほえむ。
「もちろん、そうですよ。僕は御堂先輩たちより一つ年下の高校一年生です」
 少女は自分の前髪をすかして、上目遣いで少年を観察する。
 少年の日本人離れした白い肌と、やはり日本人離れして彫りの深めな顔立ちは、どこからどうみても、見慣れたとあいつの顔にはかぶらなかった。少年が女顔だというせいもあるだろう。
 実は、最初にみた少年の服装が制服ではなく私服だったせいで、彼女は少年のことを女だと思いこんでいたのだ。身長は彼女よりもずっとたかいが、多分運動を何かやっているからだろうとおもっていた。だから男子の制服をきている少年に学校であったとき、顔から火がでる思いをした。『穴があったらはいりたい』とは、正にあのことだ。
 それにしても、目の前の少年は本当に色素がうすい。肌も髪も瞳も、全部『日本人離れ』を通りこして、もはや『外国人』の域にまで達している。実際、英語の能力も大したもので、前に聞いた話によると英検一級を中学生のときにとったらしいし、TOEFLだったかTOEICだったかで六百点を得点した、らしい。
 あいつはものすごい運動バカなのに、どうして財部くんはいつも学年一位の秀才で特進クラスなんだろう。特進クラスって、えらばれた人たちしか入れないのに。こういう人って、本当にいるんだなぁ。しかもものすごい身近に。
 少年のすごさを知るたびに彼女はいつも、『天は二物をあたえず』という言葉は嘘だと確信してしまう。
「ねぇ、財部くん」
「どうしました?」
「私のこと、『御堂先輩』って呼ぶのやめない? 普通に『芽久利めぐり』で、呼び捨てでもいいからさ」
 少年に『御堂先輩』とよばれるたびに、何かかゆい様な気がするのだ。
「それじゃあ、御堂先輩も僕のことを『財部くん』ではなくて『耀あきら』って呼んでください。僕は御堂先輩より年下ですから」
 少女はつまる。かんがえたこともなかった。だがいわれてみれば、至極もっともな話ではある。
「あ、耀」
 最後に『くん』とつけたくなるのを少女は必死でこらえたが、妙な感じがするのは否定できない。
「芽久利」
「うわごめんちょっと待ってやめて」
 少女は頭をかかえてうんうんうなる。
「自分からいっといてアレなんだけど、ごめん、やっぱり『御堂先輩』でいい。私も今までどおり『財部くん』ってよぶから」
 少年が、はい、と返答するのを確認して、少女は落ちついたように息をついた。慣れないことはするものではない。全身がむずがゆくてしょうがない。
「ごめんね、財部くん。あんまりあいつと声がにてたから」
「え?」
「あ、ほら、ひかる
 少年の表情に影がさす。少女は自分でいった言葉に自分で顔をあからめている。
「財部くんと輝って、全然共通点ないのに、声だけは本当にそっくりだよね」
 少年は返答をしないが、少女は構わずに一人で話しつづける。
「当たり前か。だって二人、兄弟なんだもんね。私は一人っ子だから、兄弟がいるのってなんかすごくうらやましいんだ。ねぇ、兄弟ってどんな感じ?」
 少女がそんなことをききながら少年のほうを振りむいたとき、少年はすでに微笑みをうかべていた。いつもかわらない少年の微笑みには、いつでもスキがない。人好きのする、穏やかで柔和で軟らかい、つかみどころのない微笑みだ。
「兄弟っていうのはきっと、人生最初のライバルだとおもいます」
 少年の言葉に、少女は素っ頓狂な声をあげる。
「ライバル? えぇ? 輝と財部くんで競えるようなものってある?」
「輝兄さんは何にもめぐまれていて、本当にうらやましいです」
「えぇ?」
 えっナニソレと、少女は再び頭をかかえる。
 と、そのとき。
「めーぐ――!」
 上空五・六メートルから若い男の声がふってきた。その声が、先ほど少女がさけんだときのようにこだまする。頭をかかえるついでに耳をふさいでしまっていた少女はすぐには気づかなかったが、少年はすぐに声の主と声の主のいる場所に気づく。
 二階の全開の窓から顔を突きだしている男子生徒と目があった。
 墨を何度も執拗に丹念にかさねたかのようにくろい髪は、どうもクセ毛らしく、ゆるやかなウェーブをえがいている。肌は浅黒く日焼けして、白目と歯が浮きだってみえる。
「おー耀ー。お前もいたんだー?」
 名前をよばれて、ついでに手をぶんぶんとふられる。立ちあがって選挙カーのウグイス嬢のように控えめに手を振りかえして、少年は少女の肩をやさしくたたいた。不意打ちにおどろいた顔で少年を見あげた少女へ、少年は上空の男子生徒を指ししめす。
「よんでいますよ」
 少女はすばやく立ち上がり、怒りの表情と握りこぶしで男子生徒に叫びかえした。
「輝ー! 私のリンゴかえせー!」
「いいじゃんか別にー!」
「よくないからおこってるんでしょーがー!」
 少女と男子生徒の言いあう声がこだまする。しかし、距離がとおいのでどうしても会話は語尾がのびがちであり、語尾だけをきくとなんとも緊迫感がない。
「俺はメグがリンゴ食べないですむようにくったんだ――!」
「え?」
 少女の顔がみるみるうちにあかくなっていく。少女はあかくなった顔をかくすように顔をおおった。
「愛されていますね、御堂先輩は」
 顔をおおったまま少女はうなずく。
「メグ、上こい! もう授業はじまっぞ!」
「あ、うん、今いく!」
 反射的にいいかえし、少女は少年にむきなおった。
「ありがとう、ごめんね、財部くん。なんかどうでもいいようなことに昼休みつかわせちゃって」
 少女は居心地悪そうにもじもじする。
「これくらい大丈夫です。よかったですね」
「うん!」
 少女はわらう。明るく綺麗な笑顔だった。誰もが魅せられるような。
「これからも応援しています」
「ありがとう! 本当に、輝の弟が財部くんでよかった!」
「早くこいメグー!」
「今いくってば!」
 ごめんね本当にありがとうとさけびながら、少女は校舎へとはいっていく。後ろ姿を、手をふって少年は見おくる。

 中庭で少年は一人だった。さっきまでにぎやかな少女がいたせいもあって、なおさら一人の静かさがひしひしとせまる。
 さびしい、とはちがう。隣に誰かがほしかった。たとえば、兄と少女のように。
 誰でもいいわけではない。本当に、心の底から望んでやまない、大切な人でないと意味がない。その人をもう見つけていたけれど、その人が隣にいてくれるはずがないこともわかっていた。その人はもう、その人が隣にいたいとのぞむ人をみつけてしまっていたから。
 初めて出逢ったときからずっと、心はその人のものなのに。心はその人をもとめてくるしいのに。その人を想えば想うほど、苦しみばかりがつのる。時たまでも一緒にいられればうれしいけれど、でも。その分だけ余計にくるしくなるだけだ。
 どうしてなのだろう。うまれて初めて恋焦がれた人。けれど、望んではいけない人。
『はじめまして』
 そういわれてその人が微笑みかけてくれたとき、つめたい心が一気に溶解して、そしてすぐに凍結した。最初からわかっていたことだったのに。その人は自分のものにはならないと、しっていたのに。こんな、つらくてくるしいだけの気持ち。しりたくもなかった気持ち。味わわせたのはあの人なのだから、責任をとってほしい。
 横たわる距離。どんなに近づいても、自分がその人にふれることは決してない。もうこれ以上近づいてはいけないのだと、頭では分かっている。けれど、今までがんばって縮めてきたこの距離をいまさらすてられない。近づくためにやってきた努力を捨て去ることは、どうしてもできない。
「すきだよ、芽久利」


 ころしてもころしても、それでも溢れでるこの想いを箱につめて、鍵をかけて心の海にしずめよう。一体いくつしずめたのか分からなくなるほどに。海が、飽和するほどに。
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Copyright © 2007 Fumina Tanehara. All rights reserved.
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後書き(反転してご覧ください)
   シリーズものにしようか、それともこれだけにしておくか……。でも多分続きます。私の根性が続くか、あるいはAbilityが閉鎖しない限り。←ここまで
修正 : 2007.03.17