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氷点下

 まっしろな吐息が冬の夜暗に、ひどく映える。
 冬の夜は、どんな季節のものよりも深くて重い。
「こんな時間に呼びだして、ごめんなさい」
 彼はマフラーをかき寄せて首をふった。
「寒くないか」
「平気。……すこし、歩こう」
 言葉といっしょに歩きだした私に、それでも彼はついてきた。青白い街灯の加減で、無表情にも、笑いをこらえているようにも、おびえるようにも見える。
 先は行き止まりの、なだらかな坂道にいるのは彼と私だけだった。雪は歩道にも車道にも、平等に降りつもっている。
 けれど踏み荒らされるのは、不平等にも歩道の雪だけだ。
 私は、雪の上にある二人ぶんの足跡を空想した。ふりむくこともせず。

 外気よりも暖かいから吐く息が白くなるのだ、と習ったのは中三のときだった。
 「飽和水蒸気量ってなんだ」と彼が頭を抱えていたことを、まるで昨日のことみたいに思いだせる。隣の席で苦笑する私自身の姿も。
 あれからもうすぐ三年。
 その『三年』は果たして長いのか、それとも短いのか、ときどき、考えてしまう。

 雪を踏みしめる音が夜を貫いていく。
 のぼりきったそこは、街並みを一望する丘の頂上だ。
 上では砕いたガラスの破片のような星が、下では極彩色のビーズのようなネオンサインが、放り投げたような配置で不規則にまたたいている。
 夜空の黒と街並みの黒は、ぜんぜん違うことに改めて気づく。不恰好なビルの影が、空をかじり取ったようだ。
 言葉も会話もないまま、夜景をしばらくながめていた。見とれた彼が無口になって、ときどき返事すらしないのはもう慣れたことだから、気まずさは覚えない。
 ――こんな時間は無駄なのだろうか。
 絶対ちがう、とおもいたい。大学入試まであと数ヶ月もないとしても、顔の見えないライバルたちが、今この瞬間も参考書をめくっているのだとしても。
 それでも、いままで彼と二人、ここで過ごしてきたのは無駄じゃない。同じ風景をみて、取りとめもないことや将来のことに盛りあがって、「また来よう」と約束して。
 そんな時間がとても幸せだったのだから。

 高二の夏休みから、彼は予備校に行くようになった。
 「仕方ない」と言いきかせても、胸の内でとぐろを巻くヘビが場所を空けることはなかった。
 いつもなら二人で乗るバスに私一人でいるたび、彼が予備校の宿題を解くたび、彼が順調に成績をあげていくたび、それは鎌首をもたげて毒牙を剥きだした。
 そして、冬眠をしらない。

 ちがう唇から吐きだされた水蒸気が、一つの塊になって夜景をけむらせる。
 けれど、すぐに消し飛ばされてしまった。
 あまりに儚すぎる交わりを、記憶にとどめるのは誰だろう。
「一緒にくるのは久しぶりだな」
 夜景を堪能し終えたらしい彼が、やおらに口をひらく。
 覚悟は何度もしてきたはずだった。なのに、たった一言で心がゆさぶられる。表情がゆがまなかったか不安に襲われる。
 彼は何をおもっているんだろう。
 私はどんな風にみえているんだろう。
「そうだね」

 彼は予備校で中学の同級生に再会した。
 その人はとても大人しくてもの静かで、言い切ってしまえば地味で、休み時間にはいつも読書に勤しんでいた。読書のおかげか頭はよくて、よく席次一番を取っていた。
 最初に声をかけたのは向こうだったそうだ。

 彼の表情は揺らがない。
 ふと、彼は私が呼びだした意図が分かっているのではないか、という不安が突きあげてくる。
 ぜんぶ承知したうえで、ここに来ているのだとしたら。
 覚悟をきめて、私に対面しているのだとしたら。
 ――ううん、そうなんだとしても。
 私は口をひらく。
 いくどとなく固めてきた覚悟に嘘をつかないために。寒いなか、わざわざ私のために出てきてくれた彼の優しさを踏みにじらないために。

『今の、彼女さん?』
 それは知らない女の声だった。
『知ってるだろ』
 少しの間があって、彼の声が続く。
『大切にしてるのね』
 その声音。
 それは、すねるような、おびえるような、すがるような――「女」の声。
『俺は――』
 返事がこわくて、私は彼が切り損ねた通話を絶ちきった。

「今まで、本当にありがとう」
 いつの間にか伏せていた視線をあげると、彼のものとぶつかった。
 こうして彼の顔を正面からみるのは、きっとこれが最後になるのだろう。
 目の奥にきつく焼きつけたい。寝ても覚めても残像がひらめくように。この想いが永遠に褪せないように。
 でも、そんなことできっこない。
「なんだよ、急にかしこまって」
 中学生のころと全然かわらない笑顔が、今は寒さにひきつれている。
 そのとたん急に心臓が重く冷たくなって、地響きをたてながら落ちた。その反動か、涙が頬をつたう。
 ――ああ、すきだったんだなぁ。
 熱を奪う涙を、彼がこまったようにぬぐった。四月、合格でうれし泣いた私にしてくれたのとそっくり同じ。
 変わってしまったのは、一体なんだったんだろう。
「なんで泣くんだ」
「これが、最後だから」
 ぬぐう指の動きがとまった。
 白い吐息が、絶えがたくわずらわしい。
「すきだったよ。しあわせだった。……ありがとう」
「……」


「わかれようか」
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後書き(反転してご覧ください)
   倉庫にある『氷点下』の改稿作。お時間がありましたらそちらも併せてどうぞ。
   いつもは一段落三行くらいなのですが、意図的に改行を多めにしました。多分、全作品のなかでも読みやすいうちに入るのではないかと思います。←ここまで
公開 : 2007.11.24