アクア・マーメイド
海と月の物語
「結婚式の華ってったら、やっぱりウェディングドレスよね。こう、真っ白なドレスのすそをひきずって赤じゅうたんのヴァージンロードをあるく! 乙女の憧れよねぇ」
「今のダンナと離婚して再婚したら?」
「海人にしてはいいアイディアじゃない。本当にそうしようかな」
ただでさえきついアルコールが逆流して、俺は鼻がいたくなるほどむせた。
「けど、まだ信じられないな。まさかよりにもよってあの二人が結婚するなんて」
その結婚式からの帰り道。俺は夏魚と一緒に二次会を抜けだして、結婚式場がある街のバーでちょびちょびアルコールをのんでいる。今日はこの街のホテルに一泊の予定だし、車できたわけではないからこれくらいはいいだろう。隣で、酒につよくない夏魚が麦茶をのんでいる。バーで麦茶をのんで、いったい何がたのしいんだ?
目配せしてマスターをよぶ。
「アルコールの一番ひくいやつで」
夏魚が酒によわいのはもちろんしっている。でもこれくらいは大丈夫だろう。というか、大丈夫じゃないとこまる。一社会人としてどうなんだよそれは。
「式おわってもまだ現実感ねぇ。のほほん系の有沙と、よりにもよってあの波沢が、まっさか結婚しちまうとは。高校時代は全然かんがえられなかったのになー」
「何いってるの、あの二人は高校の二年くらいからイイカンジだったわよ!? ホラ、人魚事件で二人ともつかまったでしょ?」
酔ったらしく、ぼうっとしてあつい頭の中でもそれはすぐに思いだせた。
人魚事件。
俺はあの二人と協力して、波沢の叔父につかまった夏魚(その時は人魚だったけど)を助ける計画をたてた。その時確かに、あの時二人はつかまった。俺と夏魚を確実に逃がすために。
「確かにつかまったけど。そんなものか?」
「そんなもの。今までも時々、あの二人は一緒にいなくなったりしてた。どこからどう見ても両思いだって誰でもわかるのに、もう! この鈍感男っ」
夏魚が麦茶を一気に飲みほした。おかわりをたのもうとしたそのとき、さっき俺が注文した『アルコールのひくいやつ』がとどく。
カクテルと思わしきあおい液体の中に、しろい氷がまるくくり抜かれてうかんでいた。結構しゃれている。
「海人、注文したの? いわなかった? 私お酒は」
「ま、まぁいいじゃねーか。祝いの夜なんだから」
なんとか言いのがれする。そんな俺たちのやりとりに、丸眼鏡をかけたマスターがわらう。
「大丈夫だよ、お嬢さん。それはね、この店でも一番アルコールがひくいんだ。だから女性やアルコールによわい人にもオススメ。『シー・ムーン』っていうのさ」
「『シー・ムーン』……。『海の月』?」
「そう。ぴったりな名前だろう? 当店オリジナルだよ」
アルコールが一番ひくいときいて、夏魚は安心したらしい。ちょっとずつ飲みはじめた。でもその飲み方はまるでメチャクチャあついスープでものんでいるかのようにゆっくりゆったりだ。
「『海の月』、か。……そういえば、夏魚」
「ん?」
全然へっていないグラスを片手に、夏魚が返事をする。
「おぼえてるか、お前。昔、こんなことがあったよな」
そう、あれは俺たちがまだ四・五歳くらいの時の話――。
小学校にはいる前だったな。文字がなんとかよめるくらいで、でも頭の中じゃよめないから声にだして本をよむくらいの年齢で。その読み方も、なんだかぎこちないんだよな。一文字一文字区切ってよんで。
それでその日、俺とお前はお前の家であそんでたんだ。それで、一緒に声だして本よんでて。その本の中の一節に、こんなのがあったんだよ。
『うみは よるになるたびに ふかくなったり あさくなったりします』ってさ。
おいおい、さすがに今はわかるぜ? 『海は月の引力でみちたりひいたりする』ってのは。だけどあの時はすごいちびで、んなことわかるはずないじゃん。だから、ちょうどよく部屋にきたお前の母親にこんなこときいたんだよ。
『うみはどうしてよるになったらふかくなったりするの?』
おばさん、あせったしこまっただろうなぁ。あんなちびどもに『月の引力よ』っていってもわかるはずがないし。だからこんな話をしておしえてくれたんだ。
おばさんの話は、こういうものだった。
海はお月様が大すきで、それで少しでも近づきたくて、お月様に自分のこと気づいてほしくて、ふかくなったりあさくなったりするの。
でもね。
お月様はそんなことしらないから、海がせっかくがんばって近づいても気づかないでしずんでいっちゃうのよ。
それでもね。
やっぱり海はお月様が大すきだから、夜になってお月様がでるたびに自分をみてほしくて、だからいつまでも海にひかれてついていくの。
ずっとよ?
それをずっと、夏魚や海人くんがうまれる前からもずっと、ずっとずーっと繰りかえしているの。
でもね。
――やっぱり海は、お月様には近づけないの。
俺は『海ってかなしいな』っておもっただけだけど、お前ときたらすごかった。涙ぼろぼろながして、鼻水はべたべたたれ流し……痛、やめろよ冗談にきまってるだろ。わらってながせよ。
まあとりあえず、俺はお前の頭をぐりぐりなでてこういってやったんだ。
『大丈夫。海はお月様に近づいて、お月様はきっと海に気づいてくれて、すきになってくれるよ』
そしたらお前あっさり泣きやんでうれしそうにわらって、『うん!』っていった。俺もうれしかったんだよ。お前が泣きやんでくれたのもだけど、お前がわらってくれたから。
おぼえてるか?
俺の話に夏魚は、
「そーゆーこともあったわねー」
完全に酔っぱらったあかい顔でいった。んでそのあと、完全に酔いつぶれてねやがった。
おかしい。確か夏魚がのんだのは、アルコール度が店内最低のはずなのに。ちらりとみると、マスターはもちろんそうだ、とうなずいた。
「か――な――――――!?」
どういう弱さだよお前! 弱すぎるにもほどがあるぜ!? お前、ケーキのスポンジの隠し味のワインとかに酔うやつだろ!? そういえば、初詣の御神酒もお前一人だけのまなかったこと、いまさら思いだしたよ!!
「おいっ、夏魚!」
「キモチワルイぃ」
だめだこりゃ。あるいて帰るのは無理だ。
「タクシーよぶかい?」
マスターが親切に提案してくれたけど、どうせホテルは近いんだから断る。かくなる上は、背負ってもどるしかない。夏魚の重さは人魚事件を最初に、体験済み。
また今度この街にくるような機会があったら、この店に夏魚と一緒にこよう。もちろん、夏魚には絶対に麦茶しかのませない。
日本の夏の夜は蒸しあつい。おまけに背中には荷物があるものだから、余計に汗が吹きでる。最悪だ。サウナ風呂よりやせそうだ。もう一つおまけに、結婚式の服装のままで酔いつぶれた夏魚を、同じくそんな服装の俺が背負っているせいか、通りすがる人がじろじろと俺たちをみる。チクショー、見せモンじゃねぇぞ。
ながい髪をそのままおろしてほんの少しアレンジしただけの夏魚の髪が、ほどけておちて俺の横の視界をシャットアウトしている。さながらカーテンだ。いくつかの髪の束と、香水らしい香りが俺の鼻先を何度かくすぐる。
こんなに油断していいものかねぇ。女としての自覚がたりないぞ、お前。
「今どこ?」
「うわっ」
「どしたの?」
いきなりおきるなよ。っていうか話しかけてくるなよ。
「いや別に。今はホテルにむかってる。あと十分はかかるからねてろ」
「うん……そうする」
「あっ、ちょっと待てねるな、ききたいことがある!」
「なによぉ」
それが今にもねそうな口調だったから、俺はあわてていった。もちろん歩きながら。
「ウエディングドレス着たいから再婚とか、いっただろ? その時の相手は?」
少し間があって、夏魚が笑いだした。ねむそうだったけど、でもわらっている。
「バカね、そしたら……も一度海人と結婚するに…………きまって」
だらり、夏魚の左手がおちて、ぶらぶらとゆれた。薬指に俺の贈った結婚指輪が光っていて、なんとなくそれをみつめながら歩いたら、いつの間にか俺は海岸の通りにでていた。
夏魚の髪をすかすようにみても、やっぱりあの頃とかわらずにお月様はかがやいている。急に、酔ってるからなのかなんなのか、俺はききたくなった。
――なぁ、海。もう、お月様に近づくことはできたか? 今でもまだ、すきで追ってるか?
返事はもちろん、ない。あったらむしろこわいし、俺もちゃんとそれをわかってる。ずり落ちかけた夏魚を背負いなおす。
でもなんだか、わらえて仕方なかった。
ホテルにむかってまた歩きだす俺を、絶対俺と同じくニブい月が青白くてらす。
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