今でもおぼえている。
祖母はあの日、笑っていた。もう二度と開かないと知っている瞳を、それでも開けてほしくて私は泣いていた。
小学校に入る前だった。私がうまれる前に祖父は他界し、祖母は一人きりで大きく立派な家――私の父が生まれ育った場所だ――に住んでいた。
その家が作られたことを祝って贈られたという柱時計は、家とともに年をとり、父の成長はおろか、私の成長も見守ってくれた。
その時計は、家そのものだった。
大きくて、立派で。古いけれど、どことなくやさしいようで。
主をなくした家は売りに出され、家具は売り払われた。もちろん、その柱時計も例外ではない。
買い取ったのは、昔から続く時計屋だったそうだ。そこは壊れた時計の修理も請け負っていた。
そうなのだ。あの柱時計は壊れていた。祖父が逝った晩、ひときわ音を響かせてそれっきり。
『さあ、いこうか』
時計を横に抱えて売りに行く父の後をついていく。まるで赤子を抱くようにみえた。不思議に父の背中は大きく、広かった。
なんだか時計が可哀想に思えた。ずっと一つだった家と永遠に切り離されて。
どこか淋しそうな表情で、動かない時計をふく祖母の姿が、連想ゲームのように浮かんで涙がどうしても止まらなかった。
父が立ち止まって、ふり返った。
そのとき。
私は、きいた。
父の腕の中の柱時計。
ずっと動かなかった、もう壊れているはずの、その時計。
鳴った。
『この時計は壊れているんだから、そんなはずないよ』
父には聞こえなかったらしいが、確かに私はきいたのだ。
今でもおぼえている。
大人になった今でも。
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